ドイツ「戦車王国」の黄昏 稼働するのは全盛期のわずか3%、どうしてそうなった?
WW2後「戦車王国」になったワケ
第2次世界大戦後、ヨーロッパは、資本主義経済体制を採るアメリカを中心とする西側陣営と、社会主義経済体制を採る旧ソ連を中心とする東側陣営に分かれ、軍事的には西側(NATO軍)、東側(ワルシャワ条約機構軍)として対峙する「冷戦時代」を迎えます。
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ドイツは、西側に属するドイツ連邦共和国(西ドイツ)と、東側に属するドイツ民主共和国(東ドイツ)に分割されてしまい、西ドイツはNATO軍の最前線に立たされました。レオパルトシリーズはその対立のなかで生まれ、ドイツ連邦軍は2000両以上の戦車を保有する、堂々たる「戦車王国」でした。
一方の、ワルシャワ条約機構軍の最前線は東ドイツになります。しかし東ドイツでは、レオパルトのような戦車どころか装甲車すら開発されず、東ドイツ陸軍の戦車は全て旧ソ連製でした。そこには、東側の盟主たる旧ソ連の意向が強く働いていました。旧ソ連も第2次世界大戦では、傑作戦車「T-34」などを生み出した「戦車王国」で、ドイツのタイガーなどと直接砲火を交えて、ドイツ戦車の威力を知り抜いています。旧ソ連は東ドイツを全面的には信頼しておらず、「戦車王国」の復活を恐れたのではないかと言われています。
1980年代終わりまで、ヨーロッパには東西ドイツの国境を挟んで、3万両以上の戦車がひしめいていたのです。
ポルシェティーガ-はポルシェティーガーだ。エレファントはエレファントだ。