旧海軍「潜水空母」はどんな飛行機を積んだ? 秘密兵器「晴嵐」と米本土空襲の偵察機
そもそもは偵察のための航空機搭載
潜水艦は海に潜って姿を隠すことができますが、反面、艦橋が低いため偵察できる範囲が狭く、レーダーやソナーが発展途上だった当時は、敵を発見しにくいことが難点でした。そこで潜水艦から小型の水上機を飛ばして、偵察範囲を広げようとしたのです。
しかし、狭い潜水艦内に格納庫を設け、飛行機も狭い空間に収まるよう、組み立て式にしなければなりません。各国が研究しましたが、技術的困難に比べて成果が少ないという判断から廃れていきます。他方、広大な太平洋を作戦海域にしていた旧日本海軍は、潜水艦に飛行機を載せることにこだわります。
1933(昭和8)年、旧日本海軍は「巡潜1型」と呼ばれる潜水艦に水上偵察機を1機搭載できる、試験艦「伊五」を完成させます。水上機を海に下ろして発進させるのではなく、カタパルトで射出できるようにして、その運用に天候の影響を受けにくくなったのが特徴でした。「伊五」の試験で実戦化できると判断した旧日本海軍は、巡潜2型、3型、甲型、乙型、伊四百型(潜特型)という「潜水空母」を実戦配備します。前出の伊二十五は乙型です。
潜特型以外の潜水艦に搭載された航空機は、専用に開発された「零式小型水上偵察機」です。最高速度246km/h、エンジン出力340馬力、60kg爆弾を2発搭載するのがやっとという小型機でしたが、戦争初期には偵察任務で成果を上げていました。最大の武勲が、冒頭で触れた、藤田兵曹長機による史上初のアメリカ本土空襲です。
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