旧海軍「潜水空母」はどんな飛行機を積んだ? 秘密兵器「晴嵐」と米本土空襲の偵察機
アメリカの「白星」マークを付けた日本の「晴嵐」
しかし、本格的な潜水空母である伊四百型の戦力化目途がついた1945(昭和20)年には、日本の敗色は覆い難いものになっていました。設計段階ではアメリカ東海岸まで遠征し、通商破壊作戦を行うことになっていましたが、もうそんな状況ではありません。
一矢でも報いようと、アメリカ艦艇が集まる西太平洋のウルシー環礁(現ミクロネシア連邦)を攻撃目標とし、伊四百型の「伊四百」と「伊四百一」が1945(昭和20)年7月23日、青森県の大湊港を出撃。攻撃予定日は8月17日に定められました。
この時「晴嵐」は銀色に塗装され、アメリカ軍の白星標章(国籍マーク)がつけられていました。戦時国際法違反ですが、警戒厳重なウルシー環礁への奇襲成功率を少しでも上げるための、苦肉の策でした。伊四百と伊四百一の2隻合わせても、「晴嵐」は6機です。無事生還できる可能性は低く、最初からフロートは取り付けず限度一杯の爆弾を搭載する、事実上の特攻です。
しかし攻撃予定2日前の8月15日、日本は降伏を宣言し、ウルシー環礁攻撃も中止されます。「晴嵐」は、整備員自らの手でフロートに穴を開けられ、翼も折りたたんだまま、カタパルトで海に射出され沈んでいきました。戦時国際法に違反する機体の廃棄を急いだともいわれていますが、「白星」標章は、廃棄直前に日の丸へ塗り直したとの証言もあります。
ちなみに1942(昭和17)年9月に、「日の丸」を付けた零式小型水上偵察機でアメリカ本土を空襲した藤田中尉(終戦による特進)は、戦後1962(昭和37)年に「歴史上唯一アメリカ本土を空襲した敵軍の英雄」として、焼夷弾を落としたオレゴン州のブルッキングス市から招待され、市民から大歓迎を受けています。1997(平成9)年にはブルッキングス市の名誉市民称号を贈られますが、その年に85歳で亡くなりました。
【了】
Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
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