旧陸軍戦車、終戦後はどうなった? 本土決戦用の九五式と九七式戦車、その後の奉公先

1945年の太平洋戦争終結時、日本国内には本土決戦に備え、かなりの数の戦車が残されていました。その一部は、軍が解体されたのち、兵器としては無力化されつつもさまざまな形で活用されたといいます。

【写真】「更生戦車」ズラリ、かつての戦車工場

Large 20190308 01
戦争中は戦車を造っていた工場。排土板を装備した更生戦車が並んでいる(画像:月刊PANZER編集部)。

この画像の記事を読む

この記事の画像をもっと見る(7枚)

Writer:

1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

最新記事

コメント