旧陸軍戦車、終戦後はどうなった? 本土決戦用の九五式と九七式戦車、その後の奉公先
より洗練されていた九五式軽戦車ベースの「工作車」
一方、前述した九七式中戦車ベースの装甲車を補完する目的で、1953(昭和28)年ごろ、九五式軽戦車の車体を改造した装甲車が警視庁に配備されました。正式名称は「工作車」といい、前述した九七式中戦車ベースのものが「装甲車」と呼ばれていたのとは対照的です。
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本車は名称とはうらはらに、九七式中戦車を流用した「装甲車」よりもずっと警備車両らしい外観を有しているのが特徴です。まず、車体前面に排土板は装備しておらず、よって車体中央部からワイヤーなどが外に伸びていません。
また砲塔を外した車体中央部には、固定式の乗員室が設置されていました。これは大型で、なおかつ「装甲車」とは異なり屋根もある密閉式で、さらに三方向に視察用スリット、左右には円形の銃眼のようなものまで設けられていました。
ただし軍用ではないため、車体前面の操縦手用ハッチは大きく開くようになっており、車体前面には大型の前照灯とモーターサイレン(「ウー」音のサイレンのこと)が装備されるなど、明らかに前述の九七式中戦車改造の「装甲車」よりも本格的な改造が施されていました。
このように「工作車」は「装甲車」よりも洗練されていたため、「装甲車」よりも長い期間、警視庁で使用された様子が見られます。
それでも装軌式(いわゆるキャタピラ式)という構造上、やはり整地された場所が多い都市部では、使い勝手に制約があったようで、やがてトラックベースの各種警備用装甲車が登場すると、これに更新される形で、昭和30年代前半には姿を消しました。
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