「ジャリ電」から「ジャマ電」へ…復興のために走り抜けた東急砧線の昔といま

東京の世田谷区内に東急電鉄の廃線が存在します。二子玉川から西へ延びていた砧(きぬた)線です。砂利や人を運んでいましたが50年前に廃止され、現在はその跡が道に変わっています。歩いてたどりました。

関東大震災後の復興を支えた

 首都圏有数の混雑路線である東急電鉄の田園都市線。このうち渋谷~二子玉川間は、かつて玉川線(玉電)という名前で路面電車が地上を走っていました。還暦を迎えたくらいの人でしたら子どものころの記憶にあるかもしれません。その玉電も、さらにかつては多摩川で採れる砂利を運ぶ路線だったということを知る人は、より高齢の方に限られることでしょう。

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東急砧線の廃線跡は、一部区間が歩道と自転車道に変わっている(2019年4月、河嶌太郎撮影)。

 玉電の砂利輸送を特に支えていたのが、東京都世田谷区内の二子玉川園駅(駅名は玉川、二子読売園などの期間あり。現在の二子玉川駅)と砧本村(きぬたほんむら)駅を結んでいた砧(きぬた)線です。全長2.2kmほどで、多摩川の河川敷で採れる砂利を東京中心部に輸送することが主目的でした。開業は関東大震災の半年後である1924(大正13)年3月です。当時、復興建設ラッシュで、コンクリートに必要な砂利の需要が高まっていました。そのため、玉電は「ジャリ電」とも呼ばれていたそうです。

 当初は砂利輸送を中心にしていた砧線も、次第に付近の人口増加に伴い、旅客輸送にシフトしていったといいます。しかし、戦後高度経済成長真っ盛りの1969(昭和44)年、地下鉄(のちの新玉川線、現在の田園都市線の一部)建設などに伴い、砧線は玉川線ごと廃止されてしまいました。

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二子玉川駅前に停車中の東急バス「玉06」系統(2019年4月、河嶌太郎撮影)。
「花みず木通り(砧線跡)」の二子玉川駅側入口(2019年4月、河嶌太郎撮影)。
中耕地駅跡を示す石標(2019年4月、河嶌太郎撮影)。

 その跡地は現在、道路として使われています。二子玉川駅を降りて北へ5分ほど歩くと、「花みず木通り(砧線跡)」という名前の通りがあります。幅約4mもない一方通行の道路で、クルマが通るにはやや狭い印象です。国道246号の新二子橋をくぐると道幅は少し広くなり、幅2mくらいの歩道も出現。そこから150mほど進むと、「砧線中耕地駅跡」と記された石標が歩道に立っています。当時の駅の様子を描いたカラー張りのタイルもありました。

【写真】砧線の跡をたどる

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