幻の東京五輪と豪華貨客船NYK三姉妹の憂鬱 新田丸、八幡丸、春日丸が臨んだ太平洋戦争
シーレーンを守る護衛空母のはずだったが
日本海軍は戦争中盤から、ようやく海上交通路(シーレーン)護衛の大切さに気が付きます。1943(昭和18)年12月15日付で3隻は海上護衛総隊に配属され、総隊司令部直属の護衛空母となることが決まりますが、その直前の12月3日に「冲鷹」はアメリカ潜水艦の雷撃で沈没してしまいます。残った「大鷹」「雲鷹」の運命を暗示しているようでした。
「護衛空母」の任務は、アメリカ潜水艦から輸送船団を守ることで、九七式艦上攻撃機を12機から17機搭載し、爆雷や爆弾を装備して、夜明けから日没まで2時間から3時間のローテーションで2機程度が哨戒しました。ただし攻撃機は対潜レーダーを装備しているわけでもなく、哨戒といっても上空からの目視による監視で、パイロットも経験が浅く実際の戦果はほとんどありませんでした。船団に、味方の飛行機が周囲を飛んでいるという安心感を与える程度の効果だったようです。
護衛空母も、夜間は一転して護衛される立場になります。アメリカ潜水艦はレーダーを駆使して夜間攻撃してくるのに対し、日本に有効な対抗手段はありませんでした。
空母は潜水艦にとって目立つ標的です。1944(昭和19)年8月18日に「大鷹」、9月17日には「雲鷹」と、相次いで敵潜水艦から雷撃を受けて沈没してしまいます。
ちなみに客船改造空母は、海軍の徴傭が解かれれば再び客船に復旧できるよう、構造上考慮されていたそうです。しかし、平和の海で船客を運ぶ機会は二度と訪れませんでした。
【了】
Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
コメント