さようなら「千代田線6000系」 根津メトロ文庫、始まりは駅員お手製の販売ボックス

一時は3万冊を超えた蔵書

 こうして誕生した根津メトロ文庫は、駅員が持ち寄った約300冊の本からスタート。根津は森 鴎外ら文豪ゆかりの地でありながら、当時は近くに図書館がなかったので(2002年に文京区立図書館の分室「根津図書室」が不忍通り沿いに開館)、地元の人たちから本を寄贈したいとの申し出が相次いだそうです。

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「根津メトロ文庫」の内部。テーブルをくり抜き、周りに板を張って作られている(2019年10月、枝久保達也撮影)。

 蔵書はすぐに数千冊を超え、翌1990(平成2)年に貸出スペースを拡張するために作られたのが「2号車」でした。1991(平成3)年にはステンレスの外板や灯火類、やパンタグラフを付け加えるなどディテールを進化させ、6000系電車らしくなりました。

 1991(平成3)年2月16日の読売新聞によると、「材料はすべて本物の再利用」とのことですが、本物の前照灯や尾灯を使っているわけではなく、別の部品を使って見立てたものです。当時廃車が進んでいた日比谷線の3000系電車、東西線の5000系電車の廃材を使ったのかもしれません。

 しかし根津メトロ文庫は、ここから時代の波に翻弄されていきます。1995(平成7)年3月7日の読売新聞(都内版)によると、一時は3万冊を超えた蔵書は2000冊まで減ってしまったといい、「不景気に合わせるかのように(本の)提供者が減り、逆に本を返さない客が増加」と、バブル崩壊後の世相の変化を指摘しています。

【写真】本物そっくり! パンタグラフが付いた図書室

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