晴海・豊洲を走っていた鉄道 知られざる「東京都港湾局専用線」 遺構をたどる

戦後の復興を支えた東京都港湾局専用線

 戦前まで、東京湾には大規模な港がありませんでした。水深が浅く、大型船の航行に適さなかったからです。晴海は「4号埋立地」として昭和初期に造成され、1940(昭和15)年に開催予定だった日本万国博覧会の会場となるはずでしたが、戦争の激化によって中止。代わりに、1941(昭和16)年5月20日、国際貿易港「東京港」が開港しました。

 しかし、新しい埋立地には鉄道や道路などのインフラがありません。そこで、総武本線の亀戸駅(東京都江東区)から小名木川貨物駅(現在の江東区北砂付近)まで延びていた貨物線を、豊洲の手前の越中島まで延伸することになりました。この路線は1945(昭和20)年3月に一応完成しましたが、すでに戦争末期で空襲も激しく、列車が走ることはありませんでした。

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1957年12月、晴海線開通時の様子(画像:東京都港湾振興協会)。

 戦後、晴海は芝浦や日の出などとともに連合国軍に接収されましたが、豊洲は接収を免れ、ここに経済復興の一環として石炭埠頭が建設されます。越中島まで来ていた貨物線を延伸し、1953(昭和28)年7月20日、深川線の越中島~豊洲石炭埠頭間2.6kmが開業。現在の豊洲市場水産卸売市場の辺りまで、線路が延びたのです。

 そして1957(昭和32)年、晴海地区が全面的に返還されると、ただちに晴海に至る専用線が建設され、同年12月17日に晴海線(深川線分岐点~晴海埠頭)2.2kmが開業しました。晴海鉄道橋は、この時に建設されたもので、国鉄が設計・建設し、完成後に東京都に引き渡されました。

【写真】廃線跡と当時の晴海鉄道橋を渡る貨物列車

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コメント

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2件のコメント

  1. 遊歩道化は想定以上に劣化が激しくて予算オーバーってんでキャンセルになったはずだけど。
    また最近そんな話が湧いてきたの?
    わざわざ都税つぎ込むよりは、このままオブジェで良いんじゃない。
    歩道にするならコンクリで線路埋めて背の高い欄干付けて、別物になっちゃうしね。

  2. キムチ