晴海・豊洲を走っていた鉄道 知られざる「東京都港湾局専用線」 遺構をたどる
昭和の終わりを見届けて、東京都港湾局専用線は36年の歴史に幕
東京港の都港湾局専用線は、その後も拡充されて、最盛期には芝浦から豊洲に至る一帯に24km以上の路線網を持っていました。晴海は日本を代表する物流拠点となり、東京国際見本市会場も開場。1960年代から1970年代にかけての高度経済成長期には、石炭、コークス、塩、新聞巻取紙、米、小麦、生鮮食品など幅広い品目を取り扱い、取扱貨物量は年間170万トンに達しました。
1962(昭和37)年には、晴海鉄道橋を介して蒸気機関車「義経号」(現在は京都鉄道博物館所蔵)や展望車のマイテ39 11(同鉄道博物館所蔵)といった名車が晴海に集められ、「鉄道博覧会」が開催されたこともあります。
しかし、1970年代後半になると陸上貨物はトラック輸送が中心となり、国鉄の貨物輸送がコンテナ中心に代わった影響もあって、輸送量は縮小していきました。
1985(昭和60)年から路線の廃止が始まり、最後に残った晴海鉄道橋と晴海線も、平成が始まった1か月後の1989年2月10日に廃止され、東京都港湾局専用線は36年の歴史の幕を閉じたのです。
鉄道橋としての役割を終えた晴海鉄道橋ですが、周囲の再開発が進むなか、ここだけが撤去されずに残された理由ははっきりとは分かりません。ただ、晴海鉄道橋は国内の鉄道橋として初めてローゼ桁と呼ばれるアーチと連続PC(プレストレストコンクリート)桁を採用した橋であり、歴史的に高い価値があることから、早い段階から保存する構想はあったようです。
遊歩道化は想定以上に劣化が激しくて予算オーバーってんでキャンセルになったはずだけど。
また最近そんな話が湧いてきたの?
わざわざ都税つぎ込むよりは、このままオブジェで良いんじゃない。
歩道にするならコンクリで線路埋めて背の高い欄干付けて、別物になっちゃうしね。
キムチ