手のひら返しで「イギリスの誇り」に だが… 英戦車「チャレンジャー」波瀾万丈の人生
ソ連崩壊で数百両がスクラップの危機に
湾岸戦争で大きな戦果を挙げて凱旋したチャレンジャーを待ち受けていたのは、イギリス国民の賞賛だけではありませんでした。1991年12月25日、イギリスが多数の戦車を保有する理由となっていたソ連が崩壊したことから、イギリス政府は同年6月に発注したチャレンジャーの改良型「チャレンジャー2」以外の戦車をすべて退役させるという、過酷な決断を下したのです。
チャレンジャーの一部は戦車橋などへの改修が決まりましたが、400両以上は引き取り手が見つからなければスクラップとなるはずでした。しかしそのようなチャレンジャーの前に、またしても「拾う神」が現れます。
陸上自衛隊が運用していた61式戦車の寄贈を求めたことでも知られる、ヨルダンのアブドッラー2世ビン・アル・フセイン国王は皇太子時代、イギリス陸軍のサンドハースト士官学校を卒業後、イギリス陸軍で勤務し、母国へ帰ってからもほぼ一貫して戦車乗りとして過ごしてきました。
フセイン国王は、イギリス陸軍で最初にチャレンジャーが配備された王国軽騎兵連隊で勤務しており、帰国後は前に述べたカリド戦車を運用する部隊の指揮官も務めています。当時、皇太子であったフセイン国王の意向がどの程度、働いたかは明らかにされていませんが、おそらくフセイン国王の肝いりによって、ヨルダンはチャレンジャーを引き取ることを決定します。
国王と同じ名前の「アル・フセイン」戦車に名を改めたチャレンジャーは、2020年1月現在も、ヨルダン陸軍の主力戦車として第一線で運用されています。
イランの革命と旧ソ連の崩壊という状況に見舞われながら、2度に渡ってヨルダンという「拾う神」の出現によって救われたチャレンジャー戦車は、史上まれに見る幸運な兵器なのかもしれません。
【了】
Writer: 竹内 修(軍事ジャーナリスト)
軍事ジャーナリスト。海外の防衛装備展示会やメーカーなどへの取材に基づいた記事を、軍事専門誌のほか一般誌でも執筆。著書は「最先端未来兵器完全ファイル」、「軍用ドローン年鑑」、「全161か国 これが世界の陸軍力だ!」など。
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