東京の地名がついたアメリカ陸軍M4戦車「シャーマン赤羽スペシャル」…なぜ赤羽?

アメリカ生まれ東京育ち、ライバルはソ連戦車

 1950(昭和25)年6月25日、突如、北朝鮮が韓国に向けて侵攻を開始、朝鮮戦争が始まります。アメリカは自陣営の韓国救援を計画、最も近くにいる部隊として、日本の駐留アメリカ軍を朝鮮半島に派遣することにしました。

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ボービントン戦車博物館に展示される76mm砲搭載型のM4A1(76)W(柘植優介撮影)。

 アメリカは当初、北朝鮮の戦力を過小評価していたため、戦車については輸送しやすい小型のM24「チャフィー」軽戦車を朝鮮半島に投入します。しかし、北朝鮮が装備するソ連製のT-34-85戦車に太刀打ちできなかったため、M4「シャーマン」戦車が送られることになり、また一部の車体については火力向上のために、急きょ東京都北区赤羽にあるアメリカ軍の「東京オードナンスデポ」で改良が加えられることになりました。

 赤羽周辺は、太平洋戦争終結まで旧日本陸軍の造兵廠(兵器工場)が多数あり、終戦で連合国軍に占領されると、それらはアメリカ軍キャンプに転用され、いくつかは造兵廠の機械設備を流用して連合国軍である進駐アメリカ軍の兵器整備工場として用いられました。

 この整備場が前出の「東京オードナンスデポ」です。朝鮮戦争期、最前線から後送されてくる戦車をはじめとした各種兵器の修理や整備などが行われ、前述したM4戦車の改良もここで実施したため「赤羽」という地名が愛称になったのです。

【写真】「赤羽スペシャル」誕生の契機となったソ連のT-34-85

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