380mm砲搭載の移動要塞 ドイツの秘密兵器「シュトルムティーガー」の威力

連合軍の進撃を阻止する門番

 こうして生まれた「シュトルムティーガー」でしたが、前述のスターリングラード攻防戦には間に合わず、実戦投入の頃には、ドイツは東西から挟撃されて防戦一方になっていました。

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建物の陰に身を潜めるようにして遺棄されていた「シュトルムティーガー」(画像:アメリカ陸軍)。

 そこでドイツ陸軍は、「シュトルムティーガー」を防御用の移動要塞として用いました。最初に投入されたのは、1944(昭和19)年8月にポーランドの首都ワルシャワで起きた市民の武装反乱「ワルシャワ蜂起」です。ここでは市街戦の様相を呈したため、「シュトルムティーガー」の大火力は有用でした。

 その後、1945(昭和20)年1月にベルギー南東部でくり広げられたアルデンヌ攻勢(バルジの戦い)にも参加し、重宝されました。

 ただし前述したように、修理のためにドイツ本国に後送されてきた「ティーガーI」の車体をリメイクする形で生産していたため、1944(昭和19)年8月から12月までの5か月ほどのあいだに18両しか完成せず、絶対数の少なさで配備部隊はわずか3個中隊に限られました。

 ちなみに、「ティーガーI」重戦車譲りの高い防御力により、「シュトルムティーガー」はアメリカやイギリス、ソ連などの連合軍にとって、撃破しにくい厄介な存在でした。そのため「シュトルムティーガー」の損失は、敵の攻撃による撃破よりも、故障や燃料切れ、弾薬切れで放棄される際に、鹵獲されないよう乗員自ら破壊していく方が多かったそうです。

【了】

【写真】口径サイズは戦艦の主砲と一緒 現存する「シュトルムティーガー」の主砲

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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コメント

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1件のコメント

  1. 実物はドイツのジンスハイム航空博物館やムンスターの戦車博物館で見られます。