高輪ゲートウェイ駅開業の裏 消える風景「提灯殺しのガード」 高さ1.5mの道なぜ誕生?

元水路 近くには雑魚場架道橋や新銭座架道橋も

「提灯殺しのガード」のほかにも、付近にはかつての水路をガードにした例があります。それらからは歴史を実感できます。

Large 200212 tyotin 03

拡大画像

「提灯殺しのガード」の東側(2020年2月6日、内田宗治撮影)。

 そのひとつが、田町駅から200mほど浜松町よりで線路をくぐる雑魚場(ざこば)架道橋下の通路です。ここはクルマが通行できません。雑魚場の語源は江戸時代前期、付近に雑魚を中心とした市が開かれていたことによるそうです。

 雑魚場架道橋に隣接する本芝公園は、1968(昭和43)年に埋め立てられるまで船溜まりでした。その船溜まりから、水路だった雑魚場架道橋をくぐって、船は東京湾と行き来していました。

 筆者(内田宗治:フリーライター)の子どものころの記憶でも、海とは反対側の山手線の内側に、古びた小船が係留されていた光景をよく覚えています。雑魚場架道橋下の通路が周囲より低い場所にあることからも、かつて水路だったことがうかがえます。

 もうひとつ、浜松町~新橋間にある新銭座(しんせんざ)架道橋下の通路も、かつては水路だった場所です。古びた煉瓦造りの橋げたが目を引きます。

 古い商店街が再開発され高層ビルが建つなど、東京は日々変貌し、ちまたで歴史的な建造物などを見かける機会は減ってきています。「提灯殺しのガード」もその例にもれず見納めとなりますが、鉄道関連に目を向けても、江戸や明治期からの様子を伝えるものがあります。

【了】

【地図】品川駅~浜松町駅付近 下の通路の天井が低い架道橋(ガード)3か所の位置

Writer: 内田宗治(フリーライター)

フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

1件のコメント

  1. これの逆が鉄橋殺しのトレーラー。 
    ハイデッカーのバスのドライバーから某駅に電話がかかってきたという。そばのガード下は何mですか?と。申しわけありませんがこの駅ではわかりかねます…ならばどこでわかるというのだろう。 
    市販の地図帖には桁下の高さが載っているものもある。