日中に走らぬ国鉄日中線 廃止直前の記録 4本目の南北縦貫線にはなれず…線路跡はいま

廃屋のような駅舎と欠けた便器 廃止1年前の熱塩駅

 筆者の訪問時、日中線の一番列車は磐越西線の会津若松駅を午前5時17分に発車し、6つ目の喜多方駅から日中線に入っています。このときのメモによると、筆者は会津若松に泊まり、この一番列車に乗るつもりでしたが、寝坊して乗り遅れ、タクシーで熱塩駅に向かいました。タクシー代は4490円、当時の高校生には大金です。

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熱塩駅駅舎(1983年4月、杉山淳一撮影)。

 筆者の日中線の記憶は、熱塩駅の欠けた便器です。まだ使っている駅舎で、毎日使うと思われる便器が欠けたまま放置されているとは……「ああ、この路線はもう見捨てられたんだな」と思いました。写真を見ると、熱塩駅の駅舎も廃墟のように荒れています。メモには「朝日にさえ見放された室内」「壁に無数の落書き」とありました。

 熱塩駅で下り列車の到着を待っていると、ディーゼル機関車が旧型客車2両をひいてやってきました。同乗していた係員が手際よく機関車の連結器を外し、機関車の位置を入れ替えます。

 熱塩駅からの乗客は筆者ひとりだけ。途中の駅で数人の乗車。春休みですから通学生はいません。車掌との会話で、熱塩までタクシーで来たと伝えると、熱塩行きは喜多方で32分も停まるから、そこまでで良かったのに、といわれました。失敗談ですね。

【写真】日中線の旧型客車「オハ35形」の車内と時刻表(再現)

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