千葉県まで行く「都営」新宿線 “越境”した理由 京王線方面とは別に目指した地とは

オイルショックで打撃 その後、千葉県営鉄道計画も断念

 さらに市川市および千葉県と協議を進め、市川市議会と千葉県議会、および東京都議会の議決をもって、当事者の了解を得ることになりました。こうして東京都は1973(昭和48)年に、東大島~本八幡間の鉄道敷設免許を取得します。

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岩本町~東大島間の開業40周年ヘッドマークを掲出した10-300形電車(2018年12月、草町義和撮影)。

 新宿線の工事は、1971(昭和46)年に森下~住吉間から着手しました。当初計画では1974(昭和49)年に新宿~東大島間を開通させ、その後、東大島~本八幡間と千葉県営鉄道北千葉線を同時に着工し、1978(昭和53)年に一気に開業させる予定でしたが、1973(昭和48)年10月に発生したオイルショックが新宿線の運命を大きく狂わせます。

 物価高騰により建設費が膨れ上がったことで、新宿~東大島間の一斉開業は断念され、工事は大幅に減速。岩本町~東大島間は1978(昭和53)年に、新宿~岩本町間は1980(昭和55)年にようやく開業しました。また千葉ニュータウンの開発計画も縮小され、千葉県営鉄道北千葉線は実現の見込みが立たなくなってしまいます。

 しかし、東京都としては江戸川区の交通問題を解決しなければならないという事情もあり、また並行するJR総武線、営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線の混雑緩和も急務だったことから、千葉県営鉄道との相互直通運転とは切り離して、東大島~本八幡間の建設に着手することになったのです。同区間の工事は1980(昭和55)年に始まり、1989(平成元)年3月に完成、全線が開業しました。

 結局、千葉県営鉄道北千葉線、実現の見通しが立たないまま、2013(平成25)年に正式に断念され、本八幡駅だけが千葉県内に残ることとなったのです。

【了】

【地図】新宿線との直通計画があった幻の千葉県営鉄道北千葉線

Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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コメント

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1件のコメント

  1. この記事の場合、列車の写真よりも地図がある方がわかりやすい。