間に合わなかった空母「雲龍」 機動部隊再建へ旧海軍が期待を寄せた量産型空母の顛末
期待された働きもできず評価されることもなく…「雲龍」の最期
航空本部の心配は、悪い意味で杞憂になります。
「雲龍」が竣工した1944(昭和19)年8月ごろには新型機の生産は滞り、パイロットは不足、日本海軍のまとまった空母航空戦力はすでに払底しており、期待された量産型標準空母が必要とされる状況ではありません。「雲龍」は2番艦「天城」と共に第一航空戦隊を編成しますが、実際に航空戦隊として運用することはできませんでした。
建造が計画された13隻の雲龍型で、竣工したのは「雲龍」「天城」「葛城」の3隻まで、以降の艦は昭和19年11月に工事が中止されます。
使い道の無くなった「雲龍」は、広い格納庫と高速性から輸送任務に充てられ、フィリピン方面の防御作戦のため、特攻専用機「桜花」を輸送することに。ほか、陸軍部隊や車輌、武器、弾薬も積み込まれました。しかし1944(昭和19)年12月19日、アメリカ潜水艦「レッドフィッシュ」からの雷撃を受け、竣工からわずか4か月で海底に没します。
兵器に求められる要件は「必要なもの(性能)を、必要な時(登場のタイミング)に、必要な数(コスト)だけ」というのが大原則です。「雲龍」はこの必要要件をいずれも満たさず、短命の悲劇的な艦でした。空母として実力はどうだったかと思いを馳せても詮無いことです。
【了】
※一部修正しました(7月22日13時28分)。
Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
雲龍型の建造計画は、二番艦天城以降はミッドウェー海戦以後の改マル五計画によるものですが、一番艦の雲龍は改マル五計画ではなく、開戦前のマル急計画によるものだったと思います
この為、改マル五計画の雲龍型13隻建造の計画には、一番艦の雲龍は含まれていないはずです
詮無いこととか言われても好きかどうか、空想妄想はこっちの勝手だしな。
雲龍型空母を扱われるのであれば、建造中断のやむなきに至った18年以降のドクトリン転換(水上戦力から基地航空隊へ主力を変化)並びに、20年序盤頃まで検討されていた神武作戦を取り上げられないのは何故でしょうか。
前者は海軍軍備・戦法を一変させるような大変化ですし、後者は劣勢下にあっても機動部隊再建とその投入が現実的に考えられていた証左となります(事実、第二・第十航空艦隊は空母戦力への充当が考えられて錬成されている部分があります)。
「必要なもの・タイミング」を考慮の上、なんとか活用を考えていた軌跡を無視して断ずるような記事はアンフェアかと思います。
カタパルトがでかいよな。アメリカの護衛空母が日本の小型空母よりも性能が低いのに飛行機の運用能力は正規空母と同等だった。栗田艦隊を食い止めたのもただの護衛空母群だしな