楠居利彦(鉄道ライター)の記事一覧
Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)
1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。
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【懐かしの国鉄写真】マイカーと一緒に列車で旅することができた「カートレイン」
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国鉄末期、マイカーを積んだ貨車を連結し、ドライバーと同乗者は寝台車で移動する「カートレイン」が登場。長距離ドライブすることなく移動できる便利な列車でしたが、高速道路網の充実などにより、次第に姿を消していきました。
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【懐かしの国鉄写真】屋根の低い旧型国電が走っていた身延線(写真28枚)
プレミアム
かつて飯田線と同様に「旧型国電の宝庫」だった身延線。1両ごとに多種多様な出自を持つ戦前製の電車が使われていたのも飯田線と同じですが、パンタグラフの付いた電動車は飯田線とは異なる外観上の大きな特徴がありました。
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【懐かしの国鉄写真】東北本線で旧型電機を追いかけた日々(写真24枚)
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「SLブーム」が終わりを迎えようとしたころ、鉄道ファンの関心は旧型電機や旧型国電へと移っていきます。とくに人気が高かったのは、デッキ付き旅客用の旧型電機、EF57形でした。
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【懐かしの国鉄写真】客車やディーゼルカーも「動員」 つくば万博の臨時列車(写真12枚)
プレミアム
大阪で国際博覧会(万博)が半世紀ぶりに再び開催されることが決まりましたが、いまから30年以上前には関東で「つくば万博」などと呼ばれた万博が開催されました。これに合わせて常磐線で運転された臨時列車を、閉幕間近の9月になって撮影しました。
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【懐かしの国鉄写真】最急勾配だった碓氷峠 旧線から新線への変わり目を訪ねた(写真24枚)
プレミアム
20年以上前、北陸新幹線の開業にあわせて廃止された、信越本線・横川~軽井沢間の碓氷峠区間。しかし路線廃止の30年前にも昔の線路を「廃止」して、新しい線路に切り替えたことがあります。新旧両線が「併存」したいたころの碓氷峠を訪ねました。
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【懐かしの国鉄写真】特急「とき」から急行「きたぐに」まで 多彩な新潟の列車たち(写真17枚)
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1970年代の新潟では国鉄初の特急電車から寒地向けの通勤型ディーゼルカー、新旧の客車が混結していた日本最長距離急行「きたぐに」まで、特色のある車両や列車が多数運転されていました。「新潟色」70系に続いて新潟の国鉄車両を紹介します。
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【懐かしの国鉄写真】引退間近の70系を追って新潟へ トレードマークは「赤と黄色」(写真19枚)
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「新潟色」と呼ばれる多種多様な独自の塗装で親しまれた、新潟地区の115系がもうすぐ引退しそうです。しかし115系が導入される前にも「新潟色」はありました。どのようなデザインだったのでしょうか。
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【懐かしの国鉄写真】初めての関西単独行で撮影した阪和線の「社形国電」(写真8枚)
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まもなく東海道新幹線が開業しようというころ、初めての関西行きで撮影した国電は阪和線でした。当時の阪和線は社形(阪和形)と呼ばれるクモハ20形とクハ25形が主力で、国鉄形は少数派でした。
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【懐かしの国鉄写真】「お待たせ」オリンピックに先立ち開業した中央線・東小金井駅(写真21枚)
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1964(昭和39)年の東京オリンピックに先立ち開業した、中央線の東小金井駅。まだ「武蔵野」の面影が残っていたころの同駅を写真で振り返ります。
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【懐かしの国鉄写真】複々線化の「前座」 中央線の高架化を祝った夜行準急列車(写真17枚)
プレミアム
線路を高架化することで踏切を解消するプロジェクトは、大都市を中心に昔から行われていました。前回の東京オリンピックが開催される直前、高架線への切り替えが図られたころの中央線を昔の写真で振り返ります。