廃線の記事一覧
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日中に走らぬ国鉄日中線 廃止直前の記録 4本目の南北縦貫線にはなれず…線路跡はいま
国鉄日中線は福島県の喜多方と熱塩を結んだローカル線で、わずか4駅、総距離は11.6kmでした。東北本線などと並ぶ幹線の一部として開業しましたが、その構想は潰え、晩年は寂れる一方に。廃止間際、1983年の記録です。
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東京の民間バス終点5選 農園はない「都民農園セコニック」 スポーツ施設がターミナル
東京都心部の都営バス営業エリアから外側、大手私鉄系など民間バス事業者の営業エリアにも、特徴的なバスの「終点」が多数あります。どのようなところへ行くバスなのか、行先名からは想像しづらい終点を5つ紹介します。
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晴海・豊洲を走っていた鉄道 知られざる「東京都港湾局専用線」 遺構をたどる
東京臨海部の豊洲と晴海を隔てる運河にさび付いた「晴海鉄道橋」が架かっています。貨物線廃止から約30年間そのままですが、このたび再活用に向けて動きが。戦後の復興を支えた東京都港湾局専用線の歴史を振り返りつつ現地を歩きました。
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横浜港の廃線跡を歩いてみた レトロな明治の鉄橋そのまま、近くに東急線跡の遊歩道も
横浜港には「汽車道」「山下臨港線プロムナード」という遊歩道があります。どちらも貨物線の跡地を活用。近年は東急東横線の跡地も遊歩道として再整備が進み、将来は内陸の丘から海岸の港まで連続して散策できるようになりそうです。
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博多駅に直接乗り入れていた筑肥線、その名残をたどる 利用者が多くても廃止の理由
福岡と佐賀を結ぶ筑肥線。福岡側の始発駅は西外れにあり、福岡市の中心部へは地下鉄に乗り入れています。最初は博多駅に直接乗り入れていましたが、ある施設の多さが原因で廃止に。いまも残る鉄路の名残をたどってみました。
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「ジャリ電」から「ジャマ電」へ…復興のために走り抜けた東急砧線の昔といま
東京の世田谷区内に東急電鉄の廃線が存在します。二子玉川から西へ延びていた砧(きぬた)線です。砂利や人を運んでいましたが50年前に廃止され、現在はその跡が道に変わっています。歩いてたどりました。
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【「平成」と乗りもの】廃止続いたローカル線 令和は「新しい交通体系」考える時代に? 見えた光
平成の初頭には「希望」も見えていたローカル線。しかしその時代を通じ、多くのローカル線が廃止されました。さまざまな施策が行われているものの、問題解決の決定打はまだ見えません。しかし令和時代を迎えるなか、新しい動きも出てきました。
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マンションに消える廃線跡、その正体は 住宅街を貫く線路、踏切跡… 東京・王子の風景
東京都北区王子の住宅街に、柵で囲われた廃線があります。踏切の跡や古びた鉄道施設が残り、巨大なマンションの前で途切れるこの線路、地域の移り変わりを物語る証人ともいうべき存在です。