東京~札幌2時間半「夜行飛行機」なぜ消えた 運賃も夜行列車並み 庶民の味方だった
夜行バスや夜行列車はよく聞きますが、夜行飛行機は国際線や貨物便でない限りあまり聞いたことがありません。しかし、前回の東京オリンピックのころには国内線の夜行便は当たり前のフライトだったようです。
クーラーのない飛行機では、夏場は夜飛ぶ方が快適
「オーロラ」「ムーンライト」「ポールスター」。名前だけだと寝台特急や夜行高速バスの名称のように思えますが、これらはれっきとした飛行機の名前です。いまでこそ、国内線で便名に愛称を付けているのは少なくなりましたが、かつて日本では、このような優雅な愛称を持った定期便が各地を結んでいたのです。
しかもこの3つは飛行機の夜行便であり、終電が終わった後の深夜に日本の空を飛んでいた定期便の愛称です。夜行列車でさえ定期運行は「サンライズ瀬戸・出雲」だけとなった今日では想像もできませんが、これら夜行の飛行機は大変な人気だったとのこと。いったいどのような飛行機が、どういったルートを飛んでいたのでしょう。
国内線における飛行機の夜行便は、1957(昭和32)年7月、JAL(日本航空)が東京~札幌間に運賃割引の深夜便「オーロラ」を夏季限定で開設したのが始まりです。深夜1時に羽田を離陸、3時間後の早朝4時に千歳到着(千歳発羽田行きは30分遅れて出発)というダイヤで、運賃は15%割引の片道9950円(当時)。機材は当時の国内線で主力だったダグラスDC-4。与圧もクーラーもない極めてシンプルな構造でしたが、信頼性の高い4発プロペラ機でした。
まだ高速バスはなく、自家用車も高級品、庶民の交通手段は鉄道がメインという時代でした。飛行機は政治家や会社社長、芸能人など一部のお金持ちだけしか乗れない“高嶺の花”でしたが、そこで新規顧客を開拓しようと生まれたのが「オーロラ」だとのこと。
当時、国鉄(現JR)の急行列車と青函連絡船を乗り継げば東京~札幌間は約3000円(当時)で済むものの、まる1日かかる上に混雑がひどく座席の確保も大変でした。JALは「夏の夜空を涼しい“オーロラ”で!」という宣伝を展開し、アッパーミドル以上の客層に喜ばれたようです。





昔フランス国鉄総裁が新幹線があるのに東京大阪間のあの距離に旅客航空路が残っていることに驚いたとのことです。
夏休みなどのシーズンに通常は貨物便として深夜に飛ばしている機体で客扱いをする例があるようです。
九州には今、貨物便の為の北九州空港が24H運用されていますが、旅客便の24Hはありません。
騒音問題等で深夜便を飛ばせるような空港がない中、長崎空港はそのハードルがかなり低いんじゃないでしょうか。
そこで私が考えたのは、長崎空港を24H運用にして、高速道路のICが近い利点を活用し、高速バス乗り継ぎで九州の主要な玄関口に早朝着けるような、深夜航空便を復活させることです。
復路便では東京に早朝に着け、その日1日を有効に使えて格安運賃となったら、人気の交通手段になるのではないでしょうか。
長崎空港の民営化促進と合わせて検討頂きたいなと思います。
一昨日に投稿した、長崎空港の24H化を希望する投稿の補足です。
深夜便復活を切に望むのですが、それは長崎県の為だけではなく、九州全県の為でもあるのです。
1972年秋を最後に全ての深夜便が消滅した理由は、航空機の大型化と騒音問題でしたが、この騒音問題が比較的に少ないのが、海上にある長崎空港の大きな利点なので、これを全九州で活用したいという大きな理由があります。
これを実現する為には、地上アクセスが必要不可欠です。これを深夜高速バスが担うのです。各県の玄関口(東京)に早朝に着くよう、長崎空港の側に、航空便からの(への)乗り継ぎ用の夜間専用のバスターミナルを作り、そこで時間調整を快適に過ごせる為の施設を作ればいいのです。
そうすれば、東京と全九州の玄関口へ早朝にたどり着けます。
これが定着すれば、北海道と九州間の早朝の内の目的地到着も夢ではありません。
併せて、こういう気運を乗り上げていく為には、長崎空港の民営化も必要でしょう。
福岡空港も熊本空港も既に民営化されましたが、長崎のそれは遅々として前に進みません。
前に戻りますが、24H化と民営化は車の両輪みたいなもので、片輪だけでは前に進みません。
更に、これが定着すれば、今はSNSの世界なので、海外にも、九州にはこんな便利な交通手段があるということが全世界に知れ渡り、九州各県がもつ観光資源を求めるインバウンドも期待できると思います。
夜間休んでいる航空機を活用する良いきっかけにもなります。
みなさん、この気運を盛り上げる為にも、是非ご協力をお願いします。