第2次大戦で「戦は数」を体現 B-29のエンジンすら大量生産・大量消費だった米国の凄さ

第2次世界大戦でアメリカが開発したB-29爆撃機は、当時の航空テクノロジーの粋が注がれた最新鋭機であるがゆえにエンジン問題も多発。しかし、それを解決したのは、アメリカでないとなしえない大量生産・大量消費と高い工作精度でした。

「世界最大の兵器工場=規格統一」その重要性を理解していたアメリカ

 第2次世界大戦開戦時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが語ったように、同大戦においてアメリカは、まさに「デモクラシーの兵器工場」でした。食糧や弾薬の大増産はもちろんのこと、兵器に関しても小は拳銃に始まり、大は航空機、艦隊空母に至るまで、すさまじいほどの量産を行ったのです。そしてこの量産を支えた技術のひとつが、工作や加工の精度の高さでした。

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第2次世界大戦末期の1945年、グアム北飛行場(ノースフィールド)に並んだ第29爆撃航空群のB-29爆撃機(画像:アメリカ空軍)。

 たとえば、同じ部品でもひとつひとつの仕上がり寸法が微妙に異なっていれば、組み込んだり取り付けたりする際に、すり合わせのような手作業によるひと手間をかけなければなりません。そして、もしその部品を交換する必要が生じた場合は、交換する部品もまた加工しなければ使えませんが、それには交換する現場で、加工の手作業ができる熟練工の技術が求められます。

 ここで、部品の公差(生産上で許容される寸法の誤差の範囲)が極めて小さければ、同じ部品を交換する際、ひと手間の加工を施すことなく入れ替えることができます。今日では当たり前のこのようなことが、当時は国によってはできていませんでしたが、アメリカの高い工業技術は、この公差を少なく抑え、部品の交換時に生ずる手間をわずかなものにしていました。

 この工作精度の高さが、第2次世界大戦当時の日本では考えられないような、最前線でのエンジン使い捨てと、リユース部品でのエンジン組み立てを可能にしたのです。

【写真】モノによっては使い捨て B-29のエンジン交換シーン

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コメント

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4件のコメント

  1. 交換対象はエンジン本体でなく、タービンでは?

  2. 「戦いは数だよ兄貴」

    と、ドズル中将もおっしゃってました。

  3. 真珠湾攻撃を指揮した山本五十六元帥は戦前にアメリカを視察時、工業力の凄さに圧倒させられ、もしアメリカを相手に戦争しても日本は負けると思っていたかもしれません。しかし上からの開戦命令に悩み、アメリカが持つ兵器を奇襲攻撃で減らそうと真珠湾攻撃を指揮したと思います。それに激怒したアメリカはわずか3年以内に今の日本海上自衛隊の最大護衛艦「いずも」級より大きい空母「エセックス」級を23隻、爆撃機B29を大量製造して戦地送り込み、原子爆弾まで使用しました。戦前は軍事力が日本と大差ないアメリカを甘く見ていた指導者たちは山本元帥のようにアメリカ視察に行って勉強していたら思いとどまっていたかもしれませんし、開戦反対の声が出たりして歴史は変わっていたのではないでしょうか。

  4. それに対して当時の日本の技術ではまともなボールベアリングを作ることができず、ボールの精度は10倍悪くてすぐに壊れる材質だった。なのでエンジンもすぐに壊れたしジェットエンジンの実用化など不可能だった。橘花のエンジンはたまたま高精度のベアリングが手に入ったから試作できたが量産なんて不可能だった。