第2次大戦で「戦は数」を体現 B-29のエンジンすら大量生産・大量消費だった米国の凄さ
高コストな航空機エンジンすら大量生産・大量消費
このようなR-3350エンジンの弱点をフォローすべく、初期には飛行時間200時間前後でエンジン交換を行う規定が設けられました。高い工作精度で生産されている部品のおかげで、エンジン交換そのものは6時間以内に終わるため、前線航空基地でのエンジン交換もそれほど手間ではなく、外された使用済みエンジンは数がまとまったところでアメリカ本土に返送され、オーバーホールが施されて再び前線へと戻される、という流れが形作られます。
しかし、このことにより、B-29の飛行隊が展開する航空基地には、アメリカ本土から新品やオーバーホール済みのエンジンが定期的に届けられる一方、交換で外された使用済みエンジンも基地の一角に山積みになり、ストックヤードは常に大量のR-3350エンジンで埋め尽くされる結果になったのです。
それでも、アメリカは、圧倒的な生産能力に裏打ちされた、巨大な後方支援態勢を駆使して、端的に言えば「欠陥機」ともいえる初期のB-29を、見方によっては「無理矢理」実用に供せられるようにしていたといえるでしょう。
前出したように、B-29は当時の世界的な航空技術のレベルからすれば「未来からきた爆撃機」、すなわち「オーパーツ」的な兵器だったのですが、それを大量生産し、実戦運用までできてしまったのは、日本のような職人技に頼ったエンジニアリングではなく、高精度のマスプロ能力と合理化された高い生産性に基づくエンジニアリングを有していたアメリカだったからこそといえるのです。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
交換対象はエンジン本体でなく、タービンでは?
「戦いは数だよ兄貴」
と、ドズル中将もおっしゃってました。
真珠湾攻撃を指揮した山本五十六元帥は戦前にアメリカを視察時、工業力の凄さに圧倒させられ、もしアメリカを相手に戦争しても日本は負けると思っていたかもしれません。しかし上からの開戦命令に悩み、アメリカが持つ兵器を奇襲攻撃で減らそうと真珠湾攻撃を指揮したと思います。それに激怒したアメリカはわずか3年以内に今の日本海上自衛隊の最大護衛艦「いずも」級より大きい空母「エセックス」級を23隻、爆撃機B29を大量製造して戦地送り込み、原子爆弾まで使用しました。戦前は軍事力が日本と大差ないアメリカを甘く見ていた指導者たちは山本元帥のようにアメリカ視察に行って勉強していたら思いとどまっていたかもしれませんし、開戦反対の声が出たりして歴史は変わっていたのではないでしょうか。
それに対して当時の日本の技術ではまともなボールベアリングを作ることができず、ボールの精度は10倍悪くてすぐに壊れる材質だった。なのでエンジンもすぐに壊れたしジェットエンジンの実用化など不可能だった。橘花のエンジンはたまたま高精度のベアリングが手に入ったから試作できたが量産なんて不可能だった。