チャーチルお気に入り「プリンス・オブ・ウェールズ」喪失の意味 新鋭艦なぜ極東へ?

海洋国家イギリスの象徴としての「プリンス・オブ・ウェールズ」

「プリンス・オブ・ウェールズ」はキング・ジョージV世級戦艦(2代目)の2番艦として1941(昭和16)年1月19日に就役したばかりの新鋭艦で、就役半年足らずの5月24日に最大のライバルだったドイツ戦艦「ビスマルク」の追撃戦にも参加しています。本調子の出ない新米艦ながらも「ビスマルク」に大きな被害を与えますが、自らも被弾して戦線を離脱。この後5月27日、「ビスマルク」は味方より撃沈されています。

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「プリンス・オブ・ウェールズ」艦上で会談するルーズベルト米大統領(手前左)とチャーチル首相(手前右)。1941年8月14日撮影(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 チャーチルはこの「プリンス・オブ・ウェールズ」がお気に入りだったようで、同艦はイギリスを象徴する戦艦として外交の表舞台にも登場します。1941年8月14日には艦上でチャーチル首相とアメリカのルーズベルト大統領が会談し、両国の第2次世界大戦後の方針を決めた「大西洋憲章」の宣言の舞台となりました。

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「プリンス・オブ・ウェールズ」の艦橋付近。右側に40mm八連装ポンポン対空砲が見えている(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 この段階で、イギリスは「バトルオブブリテン」を切り抜けたとはいえドイツと苦戦中で、アメリカはまだ正式には参戦していません。しかし、この時期に戦後について話し合うことができたのは、「太陽の沈まぬ帝国」(ある領土で太陽が沈んでいても、別の領土では出ているくらい世界中に領土を持っている=植民地帝国、の意)の底力を感じます。

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40mm八連装ポンポン対空砲。見かけは強力そうだが射撃統制、照準方式が旧式だった(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 また当時、主戦場である大西洋にはビスマルク級2番艦「ティルピッツ」がまだ残り、シーパワー国家たるイギリスを支える植民地権益があるアジアには日本の謎に包まれた大和型戦艦の影がちらつき、そしてその日本は、フランス領インドシナ南部へ進駐を開始するなど勢力拡大策を進めている状況でした。イギリスにとって海軍リソースの配分は植民地経営戦略と直結しており、難しいかじ取りを求められます。

【写真】「PoW」艦橋と特徴的な四連装主砲 「ソードフィッシュ」を添えて

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