早すぎたデジタル迷彩!? 七色の61式戦車が誕生したワケを“生みの親”に聞いた

試行錯誤だった多色迷彩

 1980年前後に戦車教導隊で試行錯誤が行われていた様々なテスト迷彩のなかでも、とりわけユニークな存在が、7色の61式戦車でした。これは現代のデジタル迷彩を思わせる四角いパターンを用いたもので、ダークグリーンをベースとし、その上にアースブラウン、ダークブラウン、サンド、カーキ、ブルー、ホワイトがブロック状に塗られていました。

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7色のブロック状デジタル迷彩が塗られた61式戦車。戦車教導隊(当時)第2中隊では、90-6050号と6327号、6533号、6562号の4両にこうした実験迷彩が期間限定で施された(吉川和篤作画)。

 この迷彩パターンを戦車教導隊で指導した葛原和三元1等陸佐(当時2等陸尉)によると、アメリカ軍機甲学校の機関誌に掲載されたデジタル迷彩の記事を参考に考案したとのことで、ペイント用ローラーでラフに塗り上げたそうです。

 雪が降ったらホワイトのパターンを多くし、春になったらサンドやカーキの比率を上げるという上描き方式で、見た目ほど手間は掛からず、非常に迷彩効果の高いパターンだったといいます。しかし、このような迷彩は中隊単位の自主的な実験で終わり、2年ごとにある車検のたびにダークグリーンの単色に戻されていたというハナシでした。

 こうした特徴ある61式戦車の実験迷彩は、1983(昭和58)年4月に開催された滝ヶ原駐屯地の開設記念行事で展示された車両にも見られました。これはダークグリーンのベースにアースブラウン、サンド、グレー、ブラックの5色を六角形の亀甲パターンで塗装したもので、似たような迷彩は第1次世界大戦におけるドイツ軍用機でも使われていました。

 現在の2色迷彩は、こうした迷彩パターンの試行錯誤を経て確立したようです。その後、白色が主体の冬季迷彩を除くと、部隊単位での迷彩を含む実験塗装はあまり見られなくなっています。それでも74式戦車や89式装甲戦闘車、96式装輪装甲車などではグレーを多用した都市型迷彩といえるものが試験的に施されたりしていることから、研究結果や知見の蓄積は、10式戦車を含めた今後の自衛隊車両の塗装にも活かされていくことでしょう。

【了】

【7色の61式戦車のヒントになったイラスト】

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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