なぜボクらは2階建て列車が好きなのか E4系新幹線「Max」引退前に思うこと
「2階建て新幹線」とは何だったのか
新幹線の2階建て車両の歴史を振り返ると、先述した東海道新幹線の100系が1985(昭和60)年にデビューし、グリーン車および食堂車として2階建て車両を連結したことに始まります。ただその後は、JR東日本のE1系、そして間もなく引退するE4系のみにとどまりました。
そもそもE1系とE4系の誕生の理由には「通勤需要の増加」「東京~大宮間の過密ダイヤ」が挙げられます。新幹線通勤客が増えたけど、これ以上、列車は長くできないし運行本数も増やせない―― ならば、2階建て構造で定員を増やそうというわけです。
新幹線通勤が増えた背景には、1986(昭和61)年頃から始まった不動産バブル景気があります。都市部の家賃や住宅価格が上がり、人々の間に「家を買うにしても長距離通勤さえ我慢できれば、都心を離れた方が安くて広くて環境もいい」といった考えが生まれます。通勤費が気になるところですが、これはたいてい会社の補助が出ます。国も1989(昭和64)年1月、通勤手当の非課税上限枠を2万6000円から5万円へとほぼ倍増しました。
E4系には通勤需要のほか、上越新幹線でのスキーシーズン向け波動輸送もありました。バブル景気崩壊とともにスキーブームは落ち着きましたが、日帰りスキーができるガーラ湯沢は人気。さらに1998(平成10)年の長野冬期オリンピックで、ウインタースポーツが盛り返していました。当時私はE4系のデッキで寿司詰め状態になったことがあります。「Maxですらこんなに混むのか」と驚きました。
先代のE1系は12両編成固定でしたが、閑散期はガラガラです。そこでE4系は8両編成になることで、閑散期は運行コストを削減、多客期は2編成を連結して16両とし、大量輸送に対応しました。
不動産事情とスキーリゾートの申し子、E4系。それが運んだのは、通勤通学客、眺望を楽しむ観光客にスキー客。そして、「2階席への憧れ」だったと言えましょう。
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Writer: 杉山淳一(鉄道ライター)
乗り鉄。書き鉄。ゲーム鉄。某出版社でゲーム雑誌の広告営業職を経て独立。PCカタログ制作、PC関連雑誌デスクを経験したのち、ネットメディアなどで鉄道関係のニュース、コラムを執筆。国内の鉄道路線踏破率は93パーセント。著書に『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。日本全国列車旅、達人のとっておき33選』(幻冬舎刊)など。
ありがとうございます。ちょうど80年代末期くから90年代にかけてはダブルデッカーブームであり、列車はもちろんのこと、自動車(特にバス)も2階建がブームでありました。そして、当時は通称ジャンボ機の愛称であったB747シリーズも人気を博していました。更にこの当時の子どもたちの乗り物の絵は大半がダブルデッカータイプのものが多いのも特徴的でした。そして時代は変わり今現在では合理性を求め傾向があるせいか、乗り物はコンパクトタイプを求める傾向があるようです。新幹線も300系以降の車両は車体高を大幅に低くなり、バスでは国産ダブルデッカー(エアロキング)が製造を取りやめたり(その代わり海外[主に欧州を中心に]から輸入)、そうかと思えばこんどは中小型タイプのバス(いすゞエルガミオシリーズや日野ポンチョシリーズなど)が人気を博したり、旅客機ではジャンボことB747シリーズが国内から完全撤退してしまったと思ったら今度はLCCのブームと需要ででA320シリーズやB737シリーズなどの小型タイプのジェット機が大量に拡大し、更にはこれよりも小型の超小型タイプ(定員100人未満)のジェット機も数多く登場しました。まとめとして、今の時代では大きくて大容量よりも小型でコンパクトを求める傾向が強いのではと感じます。
私は今でも乗り心地のベストは100系の2階だと思っています。あれ程の静かさや揺れの少なさは、今でも懐かしく感じます。特にあの後に登場した300系の揺れの酷さに、尚更、100系の乗客を優先した設計を感じました。重い車両が細かい振動を抑えていたようにも思います。結局、JR東海の運用効率化のための軽量化高速化の方針に合わなかったのですが、それでも、乗り心地ベスト車両は100系の2階であることは強調したい。このため、これに乗った時は東京大阪間を2時間位に感じていました。体感というのも列車旅の重要な要素です。