ドイツ技術+イタリアデザイン=最強!? エンジン換装で生まれ変わったWW2イタリア機3選

「醜いアヒルの子」新エンジンで白鳥へ

 イタリア製の機体にドイツ製DB605型エンジンという組み合わせは、MC.205V「ヴェルトロ」のほかにも存在します。そのひとつがフィアットG.55「チェンタウロ(半人半馬)」でした。

 このベースになったのはG.50「フレッチア(矢)」戦闘機。これはMC.200に比べて空戦性能がいまひとつで戦果もパッとしないものでした。そこで機体と主翼を大幅に改良してドイツ製DB605型エンジンを搭載したところ最高速度620m/hを記録、運動性能も良好だったことから、採用されます。

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1944年7月、北イタリアのヴィチェンツア基地におけるイタリア社会共和国空軍第I戦闘航空群第3飛行隊所属のG.55。明るい茶系ベースに濃緑系のストライプ迷彩である(吉川和篤作画)。

 G.55「チェンタウロ」は、前出のMC.205とともに早期の配備が望まれましたが、量産にあたりエンジン供給が問題となります。これはDB605型エンジンをドイツからの輸入に頼っていたからで、ドイツ国内向けの生産が手一杯でなったことで生じた問題でした。

 そこで、フィアット社はエンジンもライセンス生産して賄うこととし、自国製のRA1050RC41型「ティフォーネ(台風)」エンジンを開発。しかし初期不良や工場爆撃などに悩まされ、G.55「チェンタウロ」の部隊配備は1943(昭和18)年まで遅れたのでした。

 終戦までに完成したG.55は約150機程度でしたが、12.7mm機関銃2基と20mm機関砲3基の重武装は大型爆撃機を迎撃するのに有効とされ、ドイツ空軍も1943(昭和18)年2月にイタリアへ使節団を送り、他のイタリア製戦闘機と共にテストし、模擬空戦まで行った結果、G.55に最高評価を与えています。

 なおG.55「チェンタウロ」も、第2次世界大戦後には地上攻撃機に改造された機体がエジプトに19機、シリアに16機輸出されており、第1次中東戦争ではイスラエル空軍のP-51「マスタング」戦闘機とドッグファイト(格闘戦)を行っています。

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コメント

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1件のコメント

  1. もし休戦していなかったらどうなっていたんだろう…