エンジン倍で性能倍! とはならなかったけど結果を残せたレシプロ双発戦闘機5選

駆逐機として登場し夜間戦闘機として真価を発揮したBf110

 敵地で爆撃機を護衛できる航続距離の長い戦闘機を求めていたドイツ空軍が、1930年代半ばに採用したのがBf110で、当初は複座の双発機であり、また「駆逐機」と称されていました。前方火力として20mm機関砲2門、7.92mm機関銃4挺、ほかに7.92mmの旋回機銃を持つなど、武装だけならば当時の単発単座戦闘機を大きく凌駕していました。

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Bf110戦闘機(画像:Bundesarchiv、Bild 101I-360-2095-23/Wanderer、W./CC-BY-SA 3.0、CC BY-SA 3.0 DE〈https://bit.ly/3bFVzWp〉、via Wikimedia Commons)。

 第2次世界大戦初頭のポーランド侵攻やノルウェー侵攻などでは、爆撃機護衛やイギリス空軍の爆撃機相手に戦果を挙げましたが、西方電撃戦が始まると英仏の戦闘機相手に早くも損害が目立つようになります。このころには、すでに機動性と加速に欠ける評価が出ていましたが、その後に続くバトル・オブ・ブリテンでは、航続距離の関係から同機しか長時間の爆撃機護衛ができず格好の的となってしまい、作戦に投入した237機中223機を失ったといわれています。

 しかしそこでお役御免とはならず、1941(昭和16)年から始まったイギリス空軍によるドイツ本土爆撃に対抗するため急遽、本土防空の任につき、米英軍の爆撃機に護衛戦闘機がつくようになるまで奮戦します。夜間戦闘機としては戦争終結まで使用され、新たに機上レーダーや両翼下に無誘導の空対空ロケット弾を搭載した同機は、ハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー(121機撃墜)など、夜間戦闘機専門のエースも生み出しました。

【写真】ドイツ空軍Bf110 シートからの眺め

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コメント

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2件のコメント

  1. > 土井武夫技師を主務者としてエンジンを実績のあるハ25(海軍の栄エンジンと同型)に換装した結果、1942(昭和17)年に制式採用となったのが同機です。

    ハ102は何処へいった?

  2. そうですな。キ45試作機はハ25への換装で使えそうなレベルになったけど、結局実質別物のキ45改に計画は移行して、発動機はハ102になっていますな。
    二式複戦として採用されたのはこのキ45改の方。