非核へ転舵 音速超えた戦略爆撃機B-1が初飛行-1974.12.23 「ランサー」は今なお現役
旧ロックウェル社製の超音速戦略爆撃機B-1が1974年の今日、初飛行しました。当初はマッハ2で飛びながら超低空で核攻撃するという任務を想定しましたが、時の政権の意向やロシアとの融和などで、その能力が発揮されることはありませんでした。
封印された核搭載能力
1974(昭和49)年の12月23日。ロックウェル(現ボーイング)が開発した超音速戦略爆撃機B-1が初飛行しました。2021年現在も、派生型であるB-1Bがアメリカ空軍で現役です。
B-1は戦略爆撃機B-52の後継機として登場。音速を超えるマッハ2程度で飛行し、高度数十mという超低空からの核攻撃や、短距離離着陸を可能にする性能が求められたため、主翼は飛行条件に合わせ角度が変えられる可変翼となっています。また、低空を超音速で飛行する際に機体の姿勢が乱れないよう、機首にも小さな翼が付いています。
しかし、試作機がわずかに生産された程度で量産は中止に。理由は当時のカーター政権が軍縮へ舵を切ったことや、高コストであったことなどが挙げられます。
ただ、それから5年も経たないうちに、今度はレーガン政権が「強いアメリカ」を掲げ、B-1は派生型B-1Bとして再配備が決定。1980年代に調達が再開しました。なお、このとき「ランサー」という愛称が付けられています。
B-1B「ランサー」は、飛行速度こそマッハ1程度に下げられたものの従来機の性能を踏襲し、地形追随レーダーや赤外線監視装置の搭載、滞空時間の延長、ステルス性向上などが図られています。もちろん、核攻撃も可能でした。
しかし1990年代に入ると、アメリカとロシアの間で核弾頭と運搬手段の保有数に制限を設ける「戦略兵器削減条約(START)」が締結されたことで、B-1Bは核搭載にかかる一切の機構を破棄することとなります。加えて時代も、核攻撃に関しては核爆弾と爆撃機を用いる方式から大陸間弾道ミサイルなどでの核弾頭の投射へ移り変わっていました。
「核を封印」したB-1Bは、2001(平成13)年10月からのアフガニスタン戦争や、2003(平成15)年3月からのイラク戦争などに実戦参加したほか、最近の朝鮮半島情勢や中国の外洋進出に対応するため、たびたび日本周辺にも飛来し、航空自衛隊のF-15J戦闘機などと共同訓練を実施しています。
【了】
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