伊→独→日に所属、三国同盟の象徴のような潜水艦 黒潮に沈んだあまりに数奇な運命

極東輸送への準備と出発

 もともとイタリアは潜水艦開発において長い歴史を持っており、1940(昭和15)年6月の第2次世界大戦参戦時には、世界第4位の規模となる総数115隻の潜水艦を保有、これらを地中海と北および東アフリカの各基地に展開させていました。

 そして、前述した極東への一大輸送作戦に向けて、船体が大きな「アルキメーデII」「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「フィンツィ」「タッツォーリ」「バニョリーニ」「カーニ」「バルバリーゴ」「コマンダンテ・カッペリーニ」「ルイージ・トレッリ」が選定されます。その後「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が沈められたことにより、代わりに「ジュリアーニ」が選出。まずは4月から7月にかけて、この9隻に対して改修工事が行われました。

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大西洋に繋がったジロンド川に面した南仏ボルドーのイタリア潜水艦基地ベータソムの全景。最大で20隻近くの潜水艦隊が停泊可能で、T字形をした人口港の中央上には計3隻収容可能の二つのドライドックが見える(吉川和篤所蔵)。

 少しでもこれら戦略物資の輸送量を増やすために武装の魚雷や搭載砲は撤去され、わずかな隙間に鉄とアルミニウムのインゴット、水銀、特殊鋼鉄棒、機械部品、光学機材、各種兵器の設計図などが搭載され、魚雷発射管には航続距離延伸のための燃料が詰め込まれました。

 さらに「カッペリーニ」には、旧日本陸軍の三式戦闘機「飛燕」に搭載するためのマウザーMG151機関砲の20mm砲弾や新型戦車の青写真なども積み込まれています。

 一方「トレッリ」には、このMG151機関砲の砲架や500kg爆弾が水銀や特殊鋼棒鉄棒などとともに収容され、さらに独テレフンケン社の技師3名が当時最新のヴュルツブルグ対空レーダーの青写真を携えて乗り込みました。

 また対空機関銃以外は無武装となった各潜水艦には、対空監視用としてドイツ製で最新式の電波探知機「メトックス」が搭載されています。そうして1943(昭和18)年3月には最初の改造輸送潜水艦3隻が、6月には第二陣として3隻がボルドーの基地を出航していきました。

【極東の写真館で撮影】ドイツの制服を着たイタリア人潜水艦乗り

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