伊→独→日に所属、三国同盟の象徴のような潜水艦 黒潮に沈んだあまりに数奇な運命

苦難の末の日本への航海

 極東航海に出発した第一陣のイタリア潜水艦3隻は、敵の攻撃を避けながらアフリカ大陸南端にある喜望峰を抜けインド洋に入りますが、7月に東南アジアのサバン島基地まで到達できたのは「カッペリーニ」と「ジュリアーニ」の2隻だけでした。なお、第二陣3隻については「トレッリ」ただ1隻が8月に到着しています。

 ただ、こうして無事に極東まで来航した3隻の搭乗員達はシンガポールで束の間の休息を楽しんだといいます。ちなみに、そのときのアメリカ映画の上映会では、チャップリンの『独裁者』が彼らには好評だったと伝えられています。

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1944年8月、日本に到着して瀬戸内海を航行する「UIT-24」(カッペリーニ)号。船体はイタリア潜水艦時代の、透明度の高い青色の地中海に適した、明るいグレーに塗られたまま(吉川和篤所蔵)。

 しかし、荷卸しを終え帰国準備中の9月9日、彼らに衝撃の情報が伝えられます。なんと母国イタリアが連合国と休戦したというもの。この突然の知らせに、イタリア潜水艦は3隻とも日本軍によって接収されることとなりました。

 イタリア国王に忠誠を誓う将校達は収容所へ移送されますが、長年に渡りドイツ海軍とともに戦ってきた下士官・兵の内約80名は、収容所生活を嫌って日独の枢軸側に付いて戦うことを選択、日本が接収した3艦とともにペナン基地を拠点に戦闘していたドイツ海軍「モンスーン」戦隊に引き渡されました。

 各艦には新たに「UIT-23」(ジュリアーニ)、「UIT-24」(カッペリーニ)、「UIT-25」(トレッリ)のドイツ艦番号が与えられましたが、1944(昭和19)年2月に「UIT-23」が帰国途中のマラッカ海峡でイギリス潜水艦による魚雷攻撃を受け沈没。「UIT-24」は南大西洋付近にまで進出したものの、機関故障で4月にペナンへ帰還してしまいます。そして修理のために「UIT-25」とともに日本へ送られて、2艦は神戸の三菱造船所と川崎重工にドック入りしました。

【極東の写真館で撮影】ドイツの制服を着たイタリア人潜水艦乗り

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