「61式戦車」スイスにも? 日本と激似の戦車が同時誕生のワケ どちらも“侵攻しない”

みんな大変そう、自力開発してみるか「Pz.61」

 一方、永世中立国のスイスは、第2次世界大戦前には戦車を輸入に頼っていました。大戦中、戦車は急速に進歩したものの、戦車の開発・生産能力を備えた列強はすべて参戦しており、自国や同盟国向けの生産に追われ、スイスに戦車を輸出する余裕はありませんでした。

 またスイスとしても、戦車という陸戦の主力兵器を輸入することで、特定の大戦参加国との関係を深めるのは避けたいという意向がありました。

 このような理由から、スイスは戦後になって急ぎ当時の最新鋭戦車を求めたのですが、やはり朝鮮戦争や東西冷戦の激化のせいで、戦車開発能力がある西側戦勝国のなかにスイスに対してMBTを供給してくれそうなところは見当たらなかったのです。

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陸上自衛隊の61式戦車。2色迷彩が施されるようになったのは1980年代以降のこと(柘植優介撮影)。

 もっとも、各国とも最新鋭戦車は自国軍への配備を優先しており、輸出するだけの余裕がなかったというのが本音でした。このあたり、不戦国と敗戦国という違いこそあれ、同じ国際情勢から受けた影響のせいで、スイスと日本はよく似た状況にあったといえるでしょう。

 こうしてスイスもまた、MBTの国産化という道を選択しました。とはいえ、同国には優れた時計や銃器を生み出す精密機械産業こそ存在していたものの、戦車の開発に不可欠な装甲板の鋳造や鍛造、内燃機関の開発に必須の重工業が脆弱という泣き所もありました。しかし、スイスはそれを押してMBTの国産化にまい進します。

 1957(昭和32)年、試験開始の年号を冠した試作車「Pz.58」が完成します。同車はアメリカ製の90mm砲、イギリス製の20ポンド砲、同じくイギリス製の105mm砲という各々の主砲を搭載したバージョンが造られ、比較試験が行われました。

 その結果、当時西側の標準戦車砲となりつつあったイギリス製の105mm砲L7を搭載することが決まり、最終的に1961(昭和36)年に「Pz.61」として量産が開始されました。

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コメント

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1件のコメント

  1. 使用用途が同じならば、形が似てくるなんて事言いますもんね。