日本初の量産ジェット戦闘機F-1初飛行-1975.6.3 切り札はオリジナル空対艦ミサイル
1975年の今日、戦後初の国産戦闘機が初飛行しました。開発は三菱重工業が担当。F-1は国産戦闘機として初めて音速も突破し、各種ミサイルやロケット弾、バルカン砲などを積んで、長きにわたり日本の空を守りました。
原型は超音速高等練習機T-2
1975(昭和50)年の6月3日は、ジェット戦闘機F-1の試作初号機が初飛行した日です。同機は、先行して三菱重工業が開発した超音速練習機T-2を母体に誕生した戦後初の国産戦闘機で、量産型のF-1が初飛行するのは、それから2年後の1977(昭和52)年6月16日のこと。航空自衛隊での運用は同年9月から始まります。
当初はアメリカ製の戦闘機を採用する計画もあったものの、我が国の航空機産業の育成を考慮して独自開発が選択されました。ただ、コストの観点などから仕様はT-2と極力共通化されます。最大速度はマッハ1.6、固定武装として20mmバルカン砲を搭載し、対空ミサイルだけでなく対艦ミサイルや爆弾なども搭載でき、戦闘機というよりも攻撃機や戦闘爆撃機に近い性格の機体でした。
実際、F-1は対地・対艦支援をするための戦闘機だとして、「支援戦闘機」などと呼ばれていました。特に、ほぼ同時期に開発された国産のASM-1空対艦ミサイルを運用可能な唯一の機体であり、島国である日本を防衛するには有用とのことで、後継となるF-2戦闘機などが登場するまでは重要な戦力に位置付けられていました。
その一方で、F-4EJ「ファントムII」やF-15J「イーグル」といった戦闘機とともに対領空侵犯措置任務に就いています。また有事の際には、対艦対空任務だけでなく陸上自衛隊の地上戦闘を空から支援すべく、各種爆弾やロケット弾を用いた対地攻撃任務も想定されていました。
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