「特急の近鉄」の象徴? 歴代最大勢力12200系 50年経てもなお生きる元「新スナックカー」

特急列車の拡大で大量生産

 12200系は1976(昭和51)年までの6年間で168両が製造されました。これは歴代最多であり、現行の汎用特急「ACE」こと22000系電車の86両、「ひのとり」に使われる80000系電車や「アーバンライナーplus」こと21000系電車の72両と比べても突出しています。

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新型特急「ひのとり」80000系電車(2020年6月、恵 知仁撮影)。

 近鉄では、一般の車両も含めてひとつの形式が100両以上も造られることは非常に珍しいことです。では、なぜ12200系は大量に製造されたのでしょうか。

 12200系が製造された頃の近鉄では、路線の拡張や特急の増発が盛んに行われていました。1970(昭和45)年には鳥羽線が開業し、志摩線の改良が完了したことで、大阪や名古屋から鳥羽や賢島に直通する特急の運行が開始されました。また、大阪方では難波線が開業し、大阪難波(当時は近鉄難波)まで特急が乗り入れを開始しています。

 1973(昭和48)年には大阪~奈良間の特急が新設されたほか、1975(昭和50)年には新青山トンネルが開通して大阪線の複線化が完了し、鳥羽線でも複線化が行われました。

 こうした特急の運行区間の拡大に加え、特急の増発も都度行われたので、特急車両が大量に必要となり、12200系が量産されたのです。

 ちなみに、かつての近鉄では大阪~京都間の特急が運転されていました。この特急は、1973年から近鉄難波(当時)~大和西大寺~京都間のルートで運転され、大和西大寺で列車の進行方向を変えていました。近鉄難波(当時)~京都間の所要時間は1時間で、京都から難波へ直接移動するには手頃な列車だったのかもしれません。この特急は1992(平成4)年に廃止されていますが、2022年から観光特急「あおによし」がこのルートを走るようになりました。

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