山あいの旧海軍「地下ひみつ基地」 特攻の赤とんぼ練習機 忘却の“最高機密”を甦らせた!

特別攻撃隊に投入された「赤とんぼ」

 こうして旧日本海軍の中間練習機として使用された「赤とんぼ」こと九三式中間練習機でしたが、太平洋戦争の後半には敵味方の実用機の性能向上から格下の初等練習機を兼ねることも多くなり、また逆に実用機不足から空母に搭載されて対潜水艦の哨戒任務に用いられるケースもありました。

 さらに戦争末期になると、陸海軍の航空隊では航空機に爆弾を搭載して敵艦に体当たり攻撃を行う、いわゆる特別攻撃隊を多用した作戦が頻繁に行われるようになり、1945(昭和20)年3月の沖縄戦が始まるころには、非力な練習機である九三式も例外なく投入されるようになったのです。

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機体の下にフロートを取り付けた水上機型の九三式水上中間練習機(K5Y2)。こちらの機体は橙色ではなく銀色に塗られていた(吉川和篤所蔵)。

 九三式中間練習機による特攻機は、その通称「赤とんぼ」の由来であった機体色を濃緑色に塗り替えて、後席(いわゆる教官席)には追加の燃料タンク代わりにドラム缶を設置していました。このように単座機へ改造されたうえに、さらに離陸可能な重量ギリギリとなる250kg爆弾を機体下部に搭載するという、かなり無謀なものでした。

 それでも1945(昭和20)年7月に宮古島を出撃した「第三竜虎隊」所属の「赤とんぼ」7機は海面スレスレの低空飛行をしながら2日間に渡ってアメリカ海軍の艦艇を攻撃。7名のパイロットの命と引き換えに駆逐艦1隻を撃沈、1隻を大破させて2隻に損傷を与えています。

 低速の九三式中間練習機を転用した特攻機が、これほどまでの戦果を挙げた要因としては、羽布張り構造のため機関砲弾が当たっても突き抜けてしまった点や、機体に金属部品が少ないためにレーダーに映りにくく、さらに対空砲の近接信管が作動しにくかったからだと言われています。

 結果、アメリカ軍はこうした旧式な練習機による特攻作戦にも終戦まで神経をとがらせる必要に迫られたのでした。

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