山あいの旧海軍「地下ひみつ基地」 特攻の赤とんぼ練習機 忘却の“最高機密”を甦らせた!

トップシークレットで行われた秘密基地の建設

 このように日米が激戦を繰り広げていた頃、沖縄に近い熊本県南部の錦町の山間部では、密かに航空基地の拡充が行われていました。ここにあった人吉海軍航空基地は、元々は南九州沿岸部の各航空基地への物資や機材、人員の中継基地として開設された飛行場で、1944(昭和19)年から滑走路の建設が始まっています。

 開設後は海軍の飛行予科練習生の大量採用にともない、飛行機整備を中心にした教育用の基地として使われて、翌1945(昭和20)年の終戦までに約6000名が卒業したとのこと。この頃、「赤とんぼ」こと九三式中間練習機も同基地に配備され、また空襲を避けて鹿児島県の国分基地から移動して来た同機編成の特攻隊による訓練も行われていました。

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展望エリアに登って右斜め上後方から見ると、九一式中間練習機から受け継いだ後退角のある上主翼の様子がわかる。この原寸模型は茨城県の(株)日本立体が担当した(吉川和篤撮影)。

 なお、終戦直前の1945(昭和20)年には爆撃を避けるために近くの河岸段丘崖に多数のトンネルが掘られ、それらは作戦室や無線室、兵舎や弾薬庫、練習機格納庫として使用されます。加えて航空魚雷調整室も設けられ、女性工員を使った兵器製造も行われました。

 さらにアメリカ軍が同年11月に計画していた九州上陸作戦、通称「オリンピック作戦」が実行されたあかつきには、兵站(補給・整備)や迎撃を担う日本側の作戦拠点となるよう、基地拡張も検討され、ますます山腹の地下壕は増えたそうです。結果、そのエリアは村ひとつ分の広大な規模にまで拡張されましたが、こうした工事は戦時下ゆえに完全にトップシークレットとされていました。

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