珍しくなった「昇降式踏切」今も残る場所とは なぜ廃れたのか
昇降式踏切の傍らに必ずあったものとは
ただ2000年代以降は、通常の遮断桿に改良が施され、屈折式が普及しています。屈折式は途中で遮断桿を折りたためる構造になっているので、しなりによるリスクは低減されました。これはまさに幅員の広い道路での救世主であり、昇降式の踏切は姿を消していったのです。例に挙げた四日市港の踏切は、昭和時代からの生き残りともいえます。
ちなみに昇降式はワイヤーだけとは限らず、ロープが使われることもありました。
富山県富山市を走る富山地方鉄道不二越・上滝線の稲荷町~栄町間には、国道41号と交差する踏切があります。国道は片側2車線で、広い歩道も含むので、踏切が網羅すべき全体の幅員は広くなっています。そのため四日市港と同じ理由から、かつてはロープ昇降式踏切だったのです。
ワイヤーにしてもロープにしても、鉄道会社は多くの場合、昇降式踏切には人員を配置していました。遮断操作に加え、万一クルマなどが取り残された時に脱出する手段がなくなるため、その安全対策です。四日市港の踏切も、よく見ると傍らに踏切小屋が設けられているのが分かります。
不二越・上滝線の踏切は、その後屈折式の遮断桿に取り替えられたため、すでに踏切小屋は撤去されています。
【了】
Writer: 小川裕夫(フリーランスライター・カメラマン)
フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。官邸で実施される首相会見には、唯一のフリーランスカメラマンとしても参加。著書『踏切天国』(秀和システム)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)など。
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