ココが横浜!? 駅前“虚無”の相鉄線「ゆめが丘」大型開発スタート 都心直通で大化けなるか
開業前の仮称は地下鉄と同じ「下飯田」だった
ゆめが丘の開発は横浜市泉区の誕生とともに始まりました。1986(昭和61)年に戸塚区から分離する形で泉区が設立されると、区域を開発するために相鉄いずみ野線とブルーラインの延伸が決定します。
横浜市は1990(平成2)年、鉄道延伸と一体的に横浜市・地元地権者・鉄道事業者が共同で区画整理事業を進める「いずみ田園文化都市構想」を地元に提示。1993(平成5)年、横浜市総合計画「ゆめはま2010プラン」に「いずみ田園文化都市構想」が盛り込まれました。
そして1999(平成11)年にいずみ野線とブルーラインが湘南台駅(藤沢市)まで延伸し、相鉄にゆめが丘駅、地下鉄に下飯田駅が開業します。ちなみに、ゆめが丘駅も開業前の仮称は「下飯田」でしたが、夢のある街になることを願って「ゆめが丘」と名付けられました。
その後、開発構想や整備手法についての検討が進められ、ようやく2014年に土地区画整理組合が設立されます。2016(平成28)年6月には横浜市と横浜国立大学、フェリス女学院、相鉄ホールディングスの4者が、いずみ野線沿線における「次代のまちづくり」の推進に関する連携覚書を締結し、沿線に存在する豊かな自然環境や人的資源、低未利用地などの地域資源を活用した「環境に配慮したまちづくり」「多様な年齢層にとって住みやすいまちづくり」を推進することに合意。同年8月、ついに事業が始まりました。
相鉄ホールディングスにとってゆめが丘は重要な戦略拠点です。2010(平成22)年発表の相鉄グループ長期ビジョン「Vision100」では「沿線開発6大プロジェクト」として横浜、天王町、星川、二俣川、海老名とともにガーデンシティゾーンとしていずみ野、ゆめが丘を掲げています。
ゆめが丘については「非日常的な雰囲気を兼ね備えた郊外型ライフスタイルセンターのある街を目指す。居住者の増加と沿線外からの集客を図り、沿線外生活者には相鉄線沿線体験をしてもらう」とのビジョンが示されています。具体的に「物販だけでなく時間消費のできるエンターテイメント機能を持たせ、沿線内外からの集客を図る」ために有名小学校や中高一貫校などの誘致、保育施設や子供が楽しめる施設、エンターテイメント機能の整備を挙げています。
相鉄は街づくりのセンスないからな…どうなることやら