“あと1年早ければ…”遅れてきたジェット戦闘機「Me 262」背景にはヒトラーの横やりも
超高性能で先進的! しかし……
ほかにもMe262は、後に続くジェット戦闘機の基本となる構造を備えていました。まず主翼が直線翼ではなく、後退翼で、主翼面積が小さく薄いため高速性に優れていたとされています。当時、レシプロ戦闘機などで主流だったのは直線翼でした。ゆえに、同時期にアメリカやイギリスで開発されていたジェット機、たとえばベル P-59「エアラコメット」やグロスター「ミーティア」などもその影響を受けて直線翼を採用していたため、機体構造的には古さを感じさせるものでした。
とはいっても、Me262が後退翼になったのは、始めから性能の向上を目指したからではなく、試作の段階で搭載を予定していたエンジンBMW 003が現状の設計ではつけられないと判断されたからです。つまり、やむをえず後退翼にしたといえ、たまたま変更したことが良い方向に行った形です。
さらに、開発されたばかりの射出座席も搭載していました。今では戦闘機のスタンダードになっている、座席ごと搭乗者を射出して脱出させるあの装置を第2次世界大戦中に実用化し、標準装備していたのです。ジェット機のような高速で飛ぶ機体では、パイロットが自力で脱出するのは困難という理由から搭載されました。
Me262が戦場に姿を現すと、連合軍爆撃隊は物理的にも心理的にもダメージを受けたと言われています。ただ、本格的な実戦参加は1945(昭和20)年に入ってからであったため、ほどなくしてドイツ自身が敗戦となり、戦局に影響を与えるほど大きな戦果を出すことなく運用を終えています。
実は、同機は当時の戦況以外にも、様々な要因の影響を受け、開発が遅れた経緯があります。たとえば、アドルフ・ヒトラーが開発当初に戦闘機ではなく戦闘爆撃機として使いたいと言ったことなどが挙げられます。もし、開発がスムーズに進んでいたら、1年ほど早く運用が開始されていたのではというハナシもあります。
また、Me262の弱点としては、低速での機動性が悪かったというのが挙げられます。そのため、無防備な離陸途中を狙われるとひとたまりもなかったとか。さらに、撃墜が困難ならば納品される前に破壊してしまえという連合軍の戦法もあり、工場で製造中や移動中に銃爆撃で破壊された機体も多かったそうです。それでも終戦までの総生産数は約1400機といわれており、敗色濃厚なドイツ軍の中で、最期の輝きのひとつとなったのは事実でしょう。
なお、戦後は、アメリカやソ連が同機を接収し、戦後開発された第1世代ジェット戦闘機である、F-86「セイバー」やMiG-15などに大きな影響を及ぼすことになります。ただ、ドイツ自体は戦後直後に軍が一度解体され、国家自体も東西に分裂した影響などから、ジェット戦闘機を生み出すのは西ドイツ(当時)がイギリスやイタリアなどと「トーネード」の共同開発に関わる1970年代くらいまで、時間がかかっています。
【了】
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
Wikipediaの写真、記載内容の編集だけして記事にしていませんか?
それで記事と言うなら引用元にWikipediaときちんと記載すべきです。
論文やレポートなら、盗用でないかな?