小田急ロマンスカーSE=「新幹線のプロトタイプ」のワケ メンツを捨てた国鉄 異例の協力
0系新幹線より少ない空気抵抗
イギリスでは1940年代から、軽量車体や、車両間を台車でつなぐ連接構造といった高性能電車を実現しており、この存在が3000形の設計にも影響を与えたと考えられています。なお戦前、阪和電気鉄道(JR阪和線の前身)は電車により、表定速度81.6km/hの高速列車を実現していましたが、これは「大出力の主電動機を使用し、車両を重くして粘着性能を確保する」という手法によるもので、しっかりと整備された線路が必要でした。
小田急が必要としていたのは、軌道や変電所への投資を極力抑えられる軽量かつ高性能な車両であり、この手法は取れません。3000形の開発陣は「丈夫に長く使える車両と考えるから、鉄道車両の進歩が遅れる」との考えに立ち、耐用年数を10年(通常は20~30年)とした上で、最適な設計とするために「将来的な格下げを考えない特急専用車両」として設計を進めました。
特急専用としたことで、満員時でも130%しか乗車しない(従来は250%を想定)という前提にでき、その分強度を減らして軽量化が図れたのです。
さらに東京大学航空研究所の協力を得て、電車としては日本で初めて風洞実験を行い、空気抵抗の軽減に努めています。3000形は後に登場した0系新幹線よりも空気抵抗が少ない形状でした。
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