小田急ロマンスカーSE=「新幹線のプロトタイプ」のワケ メンツを捨てた国鉄 異例の協力

国鉄が必要とした「SE」のデータ

 1957(昭和32)年に完成した3000形は、小田急線内で127km/hを記録しましたが、曲線が多いこともあり、車両性能を十分に発揮できていない状態でした。このため小田急と国鉄鉄道技術研究所は、国鉄線内での走行試験を企画します。

 というのも鉄道技術研究所はこの年、「東京~大阪間3時間への可能性」という後の新幹線につながる講演で大反響を得ており、3000形のデータを必要としていたのです。「国鉄が私鉄の車両を借りて試験するなど面子が立たない」との批判もありましたが、「国鉄が試験車両を作るには時間がかかる」と押し切ったようです。

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定期運行終了後の1992年3月にさよなら運転を行った小田急3000形「SE」(画像:photolibrary)。

 日本の鉄道史上初となる、国鉄・私鉄の合同試験では、狭軌鉄道における当時の世界最高記録である145km/hを記録し、メディアは「東京と大阪を結ぶ高速電車の見通しがついた」と報じています。0系新幹線の設計者たちは「航空機の設計を応用した高速電車として、まず3000形を設計し、それから新幹線に取り組んだ」と述べており、3000形は新幹線のプロトタイプともいえます。

 晴れて運行開始した3000形は大好評で、鉄道友の会より第1回ブルーリボン賞も受賞しています。新宿~小田原の所要時間も段階的に62分まで短縮され、ほぼ目標を達成しました。その後も冷房装置を搭載するなどサービス向上を図っています。1968(昭和43)年からは国鉄御殿場線への乗り入れに対応。この際、前頭部に愛称表示器を備え、印象が大きく変わっています(「ロマンスカーミュージアム」では改装前と改装後を見学可)

 結果的に、3000形は想定していた10年を遥かに超えて使われることになります。最終運行は1991(平成3)年。35年の活躍に幕が降ろされ、現在では「ロマンスカーミュージアム」に3両が保存されています。

【了】

【写真】3000形「SE」の車内を見る

Writer: 安藤昌季(乗りものライター)

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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