ミッドウェーは「艦載機の時程管理」がポイント? レーダーない旧海軍 “戦闘機頼みの防空”はやっぱり限界なワケ

太平洋戦争中、日本は敵機の接近を早期感知できるレーダーを実用化するのが遅れたこともあり、たびたび防空網を突破されていました。それは海軍の空母艦隊も同様で、艦隊防空の中心は零戦でしたが、その運用には様々な制約がありました。

直衛戦闘機と攻撃隊の着艦が重なると悲惨

 太平洋戦争では、航空母艦(空母)同士の海戦が幾度も発生しました。旧日本海軍は、艦載用レーダーの開発に遅れを取り、かつ護衛艦艇の対空砲が有力ではない事情もあって、艦隊防空の中心を零式艦上戦闘機(零戦)などの、艦上戦闘機に委ねていました。

 ただ、航空機を上空にあげておくというのは、乗員の休養や燃料補給、飛行隊同士の発着艦タイミングなど様々な制約があるのも事実。そこでポイントとなるのは、運用上の「タイムスケジュール」です。

 旧日本海軍にとって思うように実施できなかった「艦隊防空」、その失敗例ともいえる1942(昭和17)年6月に起きたミッドウェー海戦を例にして、「タイムスケジュール」の重要性を振り返ってみたいと思います。

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旧日本海軍の零式艦上戦闘機(画像:アメリカ空軍)。

 ミッドウェー海戦当時、旧日本海軍の空母機動部隊旗艦を務めていた「赤城」には零戦24機(諸説あり)が搭載されていました。とはいえ、搭載戦闘機のすべてを艦隊防空に使えるわけではありません。

 6月5日午前1時30分(東京時間。現地時間だと午前4時30分)、日本艦隊は第1次攻撃隊の護衛として、零戦9機を発進させています。

 搭載機が24機なので、「赤城」には残り15機が搭載されている状態です。そして、午前1時45分、2時43分、3時55分にはそれぞれ零戦を3機ずつ、艦隊直衛のために発進させています。

 この1時45分に発進した零戦3機は、燃料補給のために3時59分に着艦収容されています。戦闘が無くても2時間程度しか直衛機は滞空できないということです。途切れずに零戦を滞空させておくことと、第2次攻撃隊を出すさいの護衛機としても、零戦を確保しておく必要があるため、搭載された15機の中から3機ずつローテーションしていたわけです。

 とはいえ、艦隊への空襲が始まったら、それどころではありません。4時10分からの空襲に対して、「赤城」は零戦5機を発進させて対応します。15機の零戦のうち、11機が発進し、3機が給油中。1機のみが出撃可能ということです。

 しかし、空中戦での燃料消費は激しく、4時20分、および4時26分にそれぞれ零戦1機が着艦。10分後の4時36分には零戦3機が着艦しており、4時50分にさらに零戦2機が着艦収容されています。

 つまり、4時50分の時点で艦隊上空の守りについていた「赤城」所属の零戦は11機から6機を差し引いて、わずか5機しかいなかったことになります。南雲機動部隊は空母4隻に合計93機の零戦を搭載していたようですが、こうして計算していくと、同時に防空できるのは4隻いても20~40機程度。艦隊防空はタイミング次第で、投入できる戦力がかなり異なるわけです。

【写真】アメリカの国籍標識「白星」を付けた零戦

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コメント

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1件のコメント

  1. この理屈だと米機動部隊や兵装転換の有無に関わらず、極論するとどんな場合でも二次攻撃隊の準備中に敵がやってきたらおしまいということになりますね。ちょっと脆弱すぎる気もしますが、真珠湾攻撃で燃料を過搭載して無理やり空母6隻連れて行ったことを考えると当時承知の事実だったんですかね。