気球 VS 戦闘機 100年の戦い 「たかが風船」相手に人類はどれほど手を焼いてきたのか

落とすにも厄介な有人気球はやがて飛行船へ

 見かけによらず気球は強靭です。普仏戦争でパリを包囲していたプロイセン軍も、上空を飛び越えていくフランスの気球を撃ち落とそうとしますが、発進した66機のうち撃墜できたのは1機のみでした。

 1909(明治42)年にドイツ陸軍が実施した対気球戦の研究記録によると、高度1200mに係留した15mの気球にマキシム機関銃で2700発射撃し、命中弾は76発だったとか。標的気球は微動だにせず浮揚し続けたそうです。

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敵機が迫って気球の地上回収が間に合わないと判断すると搭乗員はゴンドラからパラシュートで脱出した(画像:IWM/帝国戦争博物館)。

 第1次世界大戦が勃発すると、固定翼の戦闘機が実用化され気球攻撃に使われるようになりますが、そうなっても気球はやはり難敵でした。周囲には阻塞(そさい)気球(航空機を妨害するため係留された気球)や対空火器が配置され、敵護衛戦闘機と空中戦になることもあります。止まっている気球を射撃するのは速度差があり過ぎて照準が難しく、浮揚ガスである水素が爆発すれば巻き込まれる可能性もありました。

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「アリゾナ・バルーン・バスター」の異名をとったフランク・ルーク・ジュニア少尉。この写真が撮影されたのは戦死10日前という(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 5機以上撃墜すれば「バルーン・バスター」と呼ばれ、撃墜王として讃えられるほどでした。ちなみに2023年2月4日に中国の気球を撃墜したF-22のコールサインである「フランク01」「フランク02」の「フランク」は、第1次世界大戦でドイツ軍気球14機とドイツ軍機4機を撃墜し、「アリゾナ・バルーン・バスター」の異名をとったアメリカ陸軍航空隊のフランク・ルーク・ジュニア少尉にちなんだものです。少尉は1918(大正7)年9月29日、気球撃墜後に自らも撃墜され戦死しています。

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霞ヶ浦上空の民間飛行船「グラーフ・ツェッペリン」号。WW1後の1929年、世界一周飛行で来日。左下の人物は船長を務めたフーゴー・エッケナー博士(個人所蔵写真)。

 第1次世界大戦では、気球に推進装置をとりつけた飛行船も軍用兵器として投入されました。飛行船もいわゆる軽航空機に分類され、気球の直系にあるといえるものです。

 そして軽航空機 vs 重航空機のハイライトは、「空の魔王」ツェッペリン飛行船 vs イギリス戦闘機といえるでしょう。飛行船は身を守るため飛行高度をどんどん上げ、非力な戦闘機がやっと上り詰めるという構図が21世紀に再現されているのも皮肉です。

【画像】これも文明開化! 浮世絵に描かれた国内初の軍用気球試験 ほか

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