都心部も「東急線」だったかも? “自前で新線”計画の挫折 なぜ“地下鉄へ直通”になったのか

決着は「自前でなくとも…」

 これらの動きに対し、営団は組織改正を条件に存続が認められることになり、また戦後初かつ営団初の新線として丸ノ内線の建設に着手します。営団廃止論は下火になっていきますが、そのままでは地下鉄に参入したい東京都、自社線から直接都心に乗り入れたい私鉄、これらを納得させることはできません。

 こうした各方面の利害を調整すべく、運輸大臣の諮問機関として設置された都市交通審議会は1956(昭和31)年8月の答申第1号で、新たに整備する地下鉄路線は「郊外私鉄または国鉄との相互直通運転を実施」、また整備を促進するため「営団以外にも地下鉄建設への参加を認める」という方針を打ち出します。

 答申を踏まえ運輸省は1957(昭和32)年6月、地下鉄1号線(現在の浅草線)が京急線・京成線と、地下鉄2号線(現在の日比谷線)は東急東横線・東武伊勢崎線とそれぞれ相互直通運転を行うこととします。営団は都と京急に1号線の免許を譲渡。都は「都営地下鉄」として、また京急は1号線支線とされた「品川~泉岳寺」を、それぞれ自前で建設していきます。

 この決定をを受けて運輸省は、都と私鉄各社に免許申請を取り下げさせ、手打ちとしました。

 1964(昭和39)年8月、東急東横線は日比谷線への直通運転を開始。40年以上の月日を経て、ついに都心乗り入れを実現したのです。また東横線の新宿延伸、目蒲線の都心延伸も地下鉄直通として実現しました。

 鉄道事業者が創立にあたって掲げた壮大な構想がそのまま実現することは稀ですが、その精神を失わない限り、長い時間をかけ、形を変えて実現することがあります。まさに「私鉄の一念、トンネルをも通す」と言えるでしょう。

【了】 

【壮大な「東急都心線」4つの計画予想ルート】

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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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