完全な姿は世界で1機のみ! 岐阜に残る三式戦闘機「飛燕」 “和製メッサー”はなぜ生き残った?

「そらはく」の飛燕が銀色な理由

「そらはく」に展示されているのは、性能が向上したキ61-II改。いうなれば“後期生産型”と形容できます。

 この「6117」号機は国内各地を展示行脚(あんぎゃ)していくなかで、前述したように部品が散逸する悲劇に見舞われます。ただ、1962(昭和37)年には日米協力の元で一度、修復が行われました。しかし、この後、機体には史実と異なる塗装が施されてしまいます。

 とはいえ、知覧特攻平和会館に貸与され、屋内で長期にわたって保存・展示されるようになったことで、それ以上は劣化することなく保たれるようになりました。

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2階の展望コーナーから見下ろした「飛燕」。主翼の日の丸は塗装ではなく、赤いライトの照射で再現している。また胴体にも2分間隔のプロジェクションマッピングで赤い日の丸が再現されている(吉川和篤撮影)。

 貴重な大戦機として現存した「6117」号機は、川崎重工の協力を得て2015(平成27)年より、同社の岐阜工場で修復作業が始まります。

 この時に、かつて間違って塗られた塗料は全てはがされたほか、以前の修復時に施された金属パテなども全部除去され、機体はオリジナルの状態に戻されました。さらに機首のエンジン上部のパネルや、操縦席の計器板などのレプリカ部品が製作され、操縦翼面(方向舵、昇降舵、補助翼)の羽布の張り替えといったことも行われています。

「6117」号機は1年半におよんだ復元作業を終えると、2016(平成28)年11月には日本航空協会から「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」への貸与が決まり、収蔵庫での分解展示が始まりました。さらに2018(平成30)年3月の同館リニューアルオープンに合わせて再び組み立てられ、展示品の目玉として公開されて現在に至ります。

 こうして修復を終えた三式戦闘機二型「飛燕」の「6117」号機は、いまや世界で唯一の完全なる現存機として、「そらはく」の館内で銀翼を休めています。

 同博物館には、機体だけでなくライセンス生産された液冷式エンジン「ハ140」や落下式の燃料増槽なども併せて展示されているため、これらを眺めることで往時の日本の航空機産業に思いを馳せてみても良いのではないでしょうか。

【了】

【激レア“お宝”も】三式戦「飛燕」のエンジン&女学生が造った木製タンクなど(写真)

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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