通勤電車の「片開きドア」なぜ減った? 大手私鉄じゃ絶滅寸前 両開きが席巻したワケ

都市部の通勤電車のドアは特急形車両とは異なり、2枚の扉が両側に開く「両開き」が主流です。このドアは戦後の混雑に対応するため登場しましたが、中にはある信念のもと、遅くまで片開きドアを採用し続けた大手私鉄もありました。

戦前にも試作あり

 日本の通勤電車のドア幅は、短い時間で大勢の乗客を乗り降りさせるために特急形車両などより広く、1両あたりのドア数も多くなっています。また、特急形のドアは1枚の扉が片方に開く「片開き」なのに対し、通勤形のドアは2枚の扉が両方に開く「両開き」の構造が主流となっています。
 
 しかし、この両開きドアが普及し始めたのは1950年代ごろのこと。それまで鉄道車両といえば、片開きが主流でした。

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大手私鉄最後の片開きドアを採用した通勤形電車、南海電鉄6000系(児山 計撮影)。

 両開きの先駆けとなったのは、1954(昭和29)年に登場した営団地下鉄(現・東京メトロ)300形や1957(昭和32)年に登場した国鉄101系などで、以降の通勤電車は両開きが多勢を占めるようになります。

 通勤電車では、片開きよりも両開きにして乗降口を広くすれば、乗降時間が短くなり有利だということはすでに戦前から理解されていました。鉄道省は1941(昭和16)年に両開き3ドアのサハ75021を試作しています。

 しかしこのサハ75021は、1か所のドアに2台のドアエンジンを必要とするもので、左右の戸締めの同期が取れず動作が不安定でした。保守に手間がかかるばかりでなく車両価格も割高になってしまうことから、1両の試作で終わっています。

 戦後、首都圏の混雑が増してくると再び両開きドアの導入が検討されます。前出の国鉄101系はサハ75021とは異なり、ドアエンジン1台で2枚の扉を操作することを可能としました。しかしこのドアは戸閉めの際、一気に勢いよくバタンと閉まり、現代の感覚だとやや恐怖を感じる閉まり方でした。

【え…】首都圏ではレアな片開きドアです

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