「B-29を撃墜せよ」調布のミニ飛行場は首都防空の要だった! 今も残る“証人”としての謎構造物

太平洋戦争中、首都圏の防空にも用いられた日本軍機のひとつとして、三式戦闘機「飛燕」が挙げられます。同機が配備された飛行場としてよく知られているのが、東京都下にある調布飛行場。その周辺には当時の面影が今も残っています。

首都防空の切り札だった調布の「飛燕」

 このように、いまなお戦争の面影を残す調布飛行場ですが、元は東京府(当時)が公共用飛行場として1941(昭和16)4月に開設したものです。

 当初は東京調布飛行場と呼ばれており、いまでこそ長さ800m、幅30mのメイン滑走路1本しかありませんが、当時は全長1000m、幅80mのメイン滑走路と、全長700m、幅80mの横風用滑走路の計2本(ともにコンクリート舗装)を有する近代的な空港でした。

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1945年3月の調布基地において、竹材をアーチ状に組んでぼろ布などで擬装した簡易な掩体壕で翼を休める、飛行第244戦隊所属の三式戦一型丁(吉川和篤所蔵)。

 太平洋戦争が始まると、調布飛行場は旧日本陸軍の飛行第144戦隊が拠点とするようになります。この航空隊は九七式戦闘機2個中隊で編成されていました。

 開戦半年後の1942(昭和17)年4月、アメリカのB-25爆撃機によるいわゆる「ドーリットル空襲」が起きると、それを境に首都東京の防空拠点として強化されることが決まります。これにより、未舗装の滑走地帯も南側と西側に拡充しました。そして部隊規模も3個中隊に拡充、これに伴い名称も飛行第244戦隊に改められました。ちなみに一時期、二式単座戦闘機「鍾馗」を1個小隊分保有し、皇居防空の任務にも就いています。

 その後、1943(昭和18)年7月から12月に掛けて、部隊は当時最新鋭であった三式戦闘機「飛燕」(キ61)へ機種変換を図ります。「飛燕」は川崎航空機(現川崎重工)で開発された、戦争中の日本では珍しい液冷式エンジン装備の単座戦闘機です。

 万能に使える中型戦闘機、いわゆる「中戦」として、太平洋戦争中の1941(昭和16)12月に初飛行を行い、終戦までに約3000機以上が生産されています。飛行第244戦隊には、胴体に20mm機関砲2門、左右主翼に12.7mm機関砲2門を搭載し、最も生産数が多かった一型丁が主に配備されました。

 飛行第244戦隊はその後、激しさを増す京浜地帯へのアメリカ軍の爆撃に対して連日のように出撃を行うようになっていきます。特に1944(昭和19)年11月から翌年4月に掛けては、B-29爆撃機に体当たりすることで迎撃を行う「震天制空隊」が編成され、刺し違えたりパラシュートによる生還をしたりしながら、数々の撃墜戦果を挙げました。

 なお飛行第244戦隊は、沖縄戦の支援として調布基地を離れる1945(昭和20)年5月までに敵機84機を撃墜(B-29爆撃機は73機)、94機を撃破(同92機)したと伝えられています。

【こりゃわかりやすい!】掩体壕の構造を解説する立体モデル&最盛期の調布基地の概要ほか(写真)

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