「B-29を撃墜せよ」調布のミニ飛行場は首都防空の要だった! 今も残る“証人”としての謎構造物
今なお残る往時の遺構、見学もOK
改めて現在の調布飛行場を見回してみると、隣接する府中市に「白糸台掩体壕」という名で1基が、三鷹市には「大沢掩体壕」として2基のコンクリート製掩体壕がそれぞれ残されています。これらは全て旧日本陸軍の飛行第244戦隊が使用した三式戦闘機「飛燕」用の小型掩体壕で、前述したように、いまでは外から自由に見学できるようになっています。
旧日本海軍のコンクリート製掩体壕は普通に整地して固めた地面の上に建てられましたが、調布飛行場周辺に残る陸軍の掩体壕は、地面を1m以上掘ってからその上にコンクリート製のカマボコ屋根を付けて、前後に空気が抜けるようにした半地下の開放式構造になっていました。
このような構造だと背が低いために爆撃時の爆風を避けやすく、なおかつ上空の敵から発見しにくいという利点がありました。さらにかまぼこ型の屋根の上には土が盛られて草木も植えられ、大地の一部の様に偽装されました。なお、中に飛行機をしまうときは尾翼から入れます。そのため、上から見ると横幅が徐々に狭くなる形状となっています。
府中市の「白糸台掩体壕」は、国道20号線沿いの住宅地に囲まれた一角にひっそりと建っています。元々は2基が残されていたものの、個人宅の敷地にあった1基はマンション建設のために最近、解体されてしまったのだとか。しかし、残りの1基が史跡に指定されたことで、文化財として整備されて説明板も設置されており、前部に冊があるもののスロープを降りて内部も見学できるようになっています。ただ、前述したように半地下式の構造であったため、現在は半分位まで土砂で埋まっています。
三鷹市の「大沢掩体壕」の2基は調布飛行場の東側にある武蔵野の森公園内にあって、それぞれ1号と2号と名付けられています。どちらも史跡として整備されていますが、周囲はフェンスに囲まれているほか、1号掩体壕は崩壊を防ぐために内部を充填材で補強して前後の開口部は閉じられています。
しかし前部の蓋にはリアルな三式戦闘機「飛燕」のイラストが描かれており、さらにその横には説明板と共に「飛燕」や掩体壕のブロンズ像も設置されていて、在りし日の掩体壕の姿を想起できるようになっています。
2023年現在、この公園は市民の散策コースにもなっており、1号掩体壕前に広がる丘のベンチからは調布飛行場を発着する航空機が眺められます。天気の良い日などには、旅客機と飛行場、そして掩体壕の遺構を見に、調布飛行場へ足を延ばしてみてはどうでしょうか。首都防空に参加した戦闘機部隊の史跡を見学することで、改めて往時を偲ぶことができるでしょう。
【了】
Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)
1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。
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