潜水艦じゃ周囲よく見えない? ならば「飛べ」 独Uボートが積んだ伝説の珍装置とは『ラピュタ』の元ネタか
200機も生産された無動力機
着艦時には、Uボートが徐々に速度を落としながらケーブルを巻き取って甲板上に降ろします。また緊急事態が生じてUボートが急速潜航をしなければならない場合は、ケーブルを切り離して自由飛行状態となることで、ローターの回転により海上にゆっくりと降りることができたとか。しかし、このようなケースでは、乗員の収容は不可能なことが多かったといいます。
このローターカイトは1942(昭和17)年8月に初飛行すると、のちに制式採用され、フォッケ・アハゲリスFa330という型式が振られます。また愛称として、ドイツ語でセキレイを意味する「バッハシュテルツェ」という名が付けられました。
Fa330は約200機が生産されてUボートに搭載されましたが、Uボートには専属の航空要員を乗せるスペースがなかったので、一般の乗組員が操縦や組み立て分解を行いました。ちなみに、Uボートへ搭載する際は、司令塔後部に設けられた気密倉庫に分解して格納されましたが、操縦が容易で構造も単純なためUボート乗組員からは好評を博したといいます。
なお、連合軍がFa330の存在を初めて知ったのは、1944(昭和19)年5月に東アフリカのソマリア沿岸でU-852を鹵獲(ろかく)した際です。このとき、同艦に搭載されていた機体を同時に手に入れたことで、このような「凧」をUボートが搭載していることを認識しました。
ただ、「海の忍者」たるUボートの「空飛ぶ目」であるFa330は、好評だった割には、さほど多くの商船を発見することはなかったようです。
結局、レーダーやヘリコプターの発達によって、この種の兵器はその後登場していません。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
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