かつてあった「日本一短い鉄道トンネル」とは 湖に沈んだ不思議な“名物区間”は今

なぜ7.2mだけのトンネルが生まれた?

 木造駅舎には建物財産票が掲げられており、「昭和18年」と記載されていました。駅舎は「長野原線」と称した貨物専用線の時代から存在したことになります。仮に建物財産票の年月が間違っていたとしても、この駅舎は約70年前後活躍しているだろうと、私は年季の入った梁や柱を見ながら感じました。

 梁に掲げられたホーローの「出口」表示、「列車に出ています」と手書きで書かれた木枠の出札窓口、木造の低いベンチ、上り線の木造待合室など、絵に描いたような古き良き駅の佇まいに、ほっと一息します。しかし一歩駅舎の外へ出ると、上空にそびえるほどの頑丈なコンクリート橋「八ッ場大橋」が目に入りました。将来はあの高い橋脚の中腹まで水位が上がり、ここは湖底となるのだと思うと、寂しい気持ちになります。味のある木造駅舎の姿もあと少しです。

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午後の陽光に照らされる樽沢トンネル。トンネル上部には立派な松が一際目立つ(2014年9月9日、吉永陽一撮影)。

 さて、駅を降りた人々は散り散りになるのかと思いきや、十数人が線路沿いの国道145号を歩き始めました。目的地はひとつ、樽沢トンネルです。駅を出て岩島駅方向に見えてくるのは、ワーレントラス橋の「第二吾妻川橋梁」。先ほど岩島駅の先の車内から見たPC斜版橋も同名であり、同じ名称を踏襲するということは、目の前のワーレントラス橋が廃止となって水没することを示唆しています。

 国道脇にはところどころ工事箇所があり、目の前に吾妻線の線路が見えて来ると、目的の樽沢トンネルが斜面にへばりつくようにしてありました。「強固な岩盤があるゆえに、切り通しよりトンネルにした方が工期短縮となる」「山肌の一本松を守るため」「落石覆いの代わりとなる」などなど、7.2mのトンネルが造られた理由は書物や伝聞によってまちまちですが、たしかに頑丈そうな岩盤があり、一本松が立ち、落石覆いの役目も果たしているように見えました。

 樽沢トンネルを見物する人々は10名ほど。渓谷沿いの国道脇で、列車が通過する“その時”を待ち、直前になると一斉にカメラを向けます。コンパクトカメラやスマホが多く、私が訪れたときは一般的な旅行者が多かった様子でした。

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