「死の鉄道」今や観光地に 旧日本軍が作った泰緬鉄道80年 壮絶な犠牲で生まれたローカル線
泰緬鉄道、最近の様子は
熱帯気候特有のうだるような暑さのなか、バンコク・トンブリ発ナムトック行きの客車列車には冷房もなく、窓を全開にして風で暑さをしのぎます。タイ国鉄は非電化であり、ディーゼル機関車の咆哮が全開の窓から聞こえます。線路はノンプラドック駅から南本線と離れ、終点のナムトックまで泰緬鉄道の路盤を走ります。
乗客は「Death Railwayツアー」の欧米人観光客が目立ち、バックパックの個人旅行者、家族連れや恋人たち、タイ人女性と白人老男性のカップルなど、多種多様な顔ぶれで、いかにも観光列車の雰囲気です。
以前訪問した際は、途中から遠足と思しきタイの学生の集団が乗車してきました。学生の1人に身振り手振りで尋ねると、終点のナムトック駅の先にサイヨークノイ滝があって、そこへ遠足するのだと。こうした学生の集団は何度か見かけ、ナムトック線が遠足や修学旅行のコースになっているようです。客車は上下左右によく揺れ、連結器が外れそうなほど。列車も30分遅れは当たり前で、2時間遅れすらありました。
今では路盤が強固となり、レールの太さも本線並み。列車も定時運行です。変わらないのは、線路端に碍子が並ぶ古い電信線があること。有人駅ではタブレット交換が実施され、日本では昔日の情景となった姿が現役です。
カンチャナブリ駅の先で左へカーブし、全長305.55mのクワイ川鉄橋(旧名メクロン永久橋)を渡ります。ここが『戦場にかける橋』のモデルとなった観光客に大人気の場所。戦時中は下流側に木橋も建設され、橋梁が2本ありました。鉄橋内は歩けるため線路は観光客でごった返し、徐行運転の列車がすれすれを通ります。日本とは異なる鉄道光景です。
クワイ川鉄橋の先は農村地帯がしばらく続き、クウェー川(ケオノイ川を改称)に突き出るあたりでチョンカイの切り通しを通過します。人海戦術で山塊を崩した難所のひとつで、5か月の突貫工事で切り通しにしました。
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